「文章で自分を出していくこと」は、やっぱりちょっと怖いんだけど。
文章講座をしていると、
経歴や実績、人柄に優れた人ほど
「私なんか、まだまだなので…」と口にすることが多い気がする。
客観的にみると、それ、すごいことなんですけど、と思うようなことや、
それをもっと打ち出せばいいのにと言いたくなることも、
本人にとっては、「だって、もっとすごい人がいっぱいいますから」なのだ。
3年経験したといっても、10年、20年されている人と比べたら。
これは大したことないんです。
だって、もっとすごい人がたくさんいるから。
そういいたくなる気持ちは、私もわかる気がする。
業界の中での立ち位置は、お客様には関係ない
私も1冊目の本(『キャッチコピーの教科書』)を出した時は、
コピーライターとしては、輝かしい実績などもなく、
それはそれは怖かった。
業界のすごい人から見たら、「誰だこれ?」。
なんて思われるだろう。
私なんかがこんなすごいタイトルの本書いていいのかなって。
自分よりもすごい人を数えたら、きりがない。
だけど、狭い業界の中で、上や横をばかりを見て、
そこと自分を比べていても、本当のことは見えてこない。
「誰にどんな価値を提供できるか」が全て
大切なのは、業界の中での自分の立ち位置ではなくて、
自分は、お客様にどんな価値を提供できるか、だと思う。
自分の経歴や、経験が、お客様の安心材料になるなら、それを書く。
他と比べてどうこうではないし、
ことさらそれを自慢げに並べるのが良いわけでもない。
一方で、実際に会ってみたり、よく知ったりすると、
薄っぺらいと感じるような人が、
見せ方ひとつですごくデキル風に仕上がっている、というのもよく目にする。
文章の怖さは、そこにあると思う。
自分を大きく見せる文章を書く人、過小評価し続ける人
ある程度文章が書けるなら、100円のものを1000円にも1万円にも見せることができる。
「うまく言って買わせる」ことは、いくらでも可能だろう。
自分を大きく見せる、お金持ちに見せる、すんごく儲かっているように見せる、そんなことも文章ひとつで可能である。
虚構はいくらでも書ける。フィクションの小説みたいなものだ。
自分とかけ離れた価値を、さもあるように見せることだってできちゃうのだ。
でも、そういうのって、今の時代、けっこう透けて見えている。
虚構は見破られる。薄っぺらい人は、裏が透けて見えるのだ。
ぺらり。
「自分では大したことない」と思っていることが、
客観的にみると、実はすごい、ということはよくある。
「自分では当たり前」と思っていることが、
人からすると「すごく面白い」ということもよくある。
自分で自分の可能性に蓋をしないことが、大切だなと思う。
文章で自分を出すのは、やっぱり怖いけれど。
自分を出すことは怖い。
表面上の、上っ面を書く方が、そりゃあラクだしカンタンだろう。
自分の想いをまっすぐに書くことも、
自分の過去を出すことも、
怖い。そりゃそうだ。
だけど、その「怖い」という感覚をちゃんと持ち続けながら、
上っ面だけじゃない、本当に伝えたい部分を
しっかりと書けるようになれば、
それがきっと、本当に一番伝えたい人に、伝わる文章になるんだと思う。
それが、ファンが増える文章なんだと私は思う。
「こんなこと書いていいのかな」
「これを書いたらどう思われるだろう」
そう思う気持ちは、悪ではない。
そんな風に感じない方が、きっともっと怖いことだろう。
「自分のことを表現する」ことに恐れを持ちながらも、
変わりたい、もっと自分を出したいという思いがあるのなら。
きっと変われる。
自分がしたくないことはしなくていいし、
胸が嫌な感じでざわざわしちゃうようなことを、無理して書くこともない。
だけど、自分を過小評価する必要もない。
わたしは、私の中にある思いを、私の言葉で書いていく。
私の言葉を待っている人が、きっといると信じて。
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