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「どうしても伝えたい」想いがあれば、伝えることが怖くなくなる

・こんなことを書いて、誰かの役に立つんだろうか?
・読んでくれる人が少ないのに、書いている意味があるのか?
・自分の意見なんて、つまんないんじゃないか。

noteやブログやSNS発信をしていると、そんな気持ちになることがあるかもしれない。

商品やサービスを売っている人は、それについて伝えるときに

・結局これが売りたかったのか、と思われるのが嫌
・断れられるのが怖いから、伝えられない
・売り込みだと思われたくない

という感情が沸き起こってきて、商品やサービスのことをうまく伝えられない、という声もよく聞く。


「伝えたい」だけなのか「買って欲しいのか」という葛藤

ネット上で発信をして、商品やサービスを売っている人(私もそうです)からよく、

「私は、この思いを伝えたいだけなのか、商品やサービスを買って欲しいと思って書いているのか、わからなくなります」と相談を受けることがある。

「買って、買って」と言いたいわけではない。本当は自分の思いが伝えたいたけなのだ、と。

その気持ちはわかる気がする。

ゴリゴリに押して買って欲しいわけではない。迷惑だと思われたくない。いいことを言っているようで最後にモノを売っているのかと思われたくない。商品やサービスの説明をして嫌われたくない。

断られて傷つくのが怖い。
結局売りたいだけかと迷惑がられるのが怖い。

傷つきたくない。恥をかきたくない。しょぼい奴だと思われたくない。

完全に、矢印が自分に向いている。


それでも伝えたいから、「相手にとって受け取りやすい」ように磨きをかける

これを伝えることは誰かにとって意味があると思えると、伝えたくてしょうがなくなる。

心の底から、これは相手にとって役立つと思うと、断られてもいいという覚悟が生まれる。

「自分のための発信」から「相手のためになるから伝えたい」に変わった瞬間だ。

いい商品やサービスがあるのに売れない、という人は、本当に心の底からそれが誰かを幸せにするモノだと確信できたら、伝えるのが怖くなくなる。

自分の中の思いを言語化して伝えることが、誰かひとりでも救うことになるかもしれない、誰かの(たとえ小さくても)気づきになるかもしれない、と確信できると、伝えることが怖くなくなる。

自分を大きく見せたいとか、嫌われるのが怖いとか、しょぼく思われたくないとか、押し付けだと思われたらどうしようとか、

そういう気持ちが全部吹っ飛ぶくらい「これは誰かにとって必要なモノなんだ」「これを伝えることで、変わる人が必ずいるんだ」と思えれば、自分の怖さや恥ずかしさなんてどうでもよくなる。

伝えることで誰かの気持ちや生活やもしかしたら人生を(少しでも)変えるかもしれないのだから、伝えない方が罪なのだ。


空気を読む優しい人だからこそ、伝えられる文章がある

はじめから、「どう書けば売れるか」「うまく言って買わせたい」「1行コピーを変えただけでバカ売れしたい」と思っているような人と、

こんなことを書いて誰が喜ぶんだろう、こういう風に伝えたら迷惑と感じる人がいるんじゃないか、と空気を読みすぎて考えすぎて書けなくなる人は全然違う。

後者の「優しすぎる人」は、初めは自分に目線が向いていたのを(怖いとか恥ずかしいとか)、相手の目線に変えることができれば、前者の「とにかく売りたい」人よりもはるかに、相手のための文章が書けるはずだ。

怖いから、迷惑だと思われたくないから、「どう書けば相手に負担がないか」「どう書けば、相手が受け取りやすいか」「いつのタイミングだと嫌われないか」と、書き方や伝え方に工夫が生まれる。

自分の発信や文章が、「相手のためになる」と確信が持てたとき、恥ずかしい、怖い、私なんて、という感情は消える。

そのためにはまず自分が、どんな人のために、どんな感情を持っている人のために、どんな日常生活を送り、どんな悩みや願望を持っている人のために伝えたいのかを明確にする必要がある。


「売り込み」ではなく「信頼されて長く売れ続けるための文章」の書き方はこの本に具体的に書きました。

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