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「あなた、宗教とか向いてるのよ!」

「あなた、宗教とか向いてるのよ!」

数年前、懇意にしていた占い師から言われたひと言。「わたし」という人間の星回りや素養なんかを鑑てもらっていたとどめに出てきたパワーワード。

何とまぁ、無茶苦茶な。

と、心の中で呟き、たぶんあからさまに首を傾げていたと思う。

「結局は自分次第」なんてあまりに達観した感覚が常にあるわたしからすれば「何かを信仰する」のは別に神や仏じゃなくても、宗教じゃなくてもいいんじゃないの?

K-POPグループだって、旧ジャニタレだって、インディーズバンドだって、メン地下だって構わないじゃない。それでその人の心に灯りが灯るなら。

要はこの占い師が言いたかった事。
それは、わたしには

  • 発言に力がある

  • 訴求力がある

  • 言葉の使い方が上手い

  • 傾聴力がある

  • サービス精神が旺盛

  • 慈悲深さも持ち合わせている

という事だそうで、現実的な職業で言うと「終活サービス」「葬祭業」なんかも向いていると言われた。

その流れで某終活サービス企業に履歴書を送ったけど「えっ?もう読み終えました?」ぐらいの速さ(ものの20分ぐらい)でお祈りメールが届いたし、葬祭業なんてもうドンヨリを引き摺るのが早々に想像ついてしまって、全く動く気にもなれなかった。

その最終形態が「宗教家」。
このわたしの何を「宗教」という形にするんだ?

人はみな天上天下唯我独尊。上も下もないとお釈迦様は仰っているのに「教祖」だの「先生」だの言われてそれなりの気分になっている人の何を信じろと!

なんてことを常日頃思っているわたしが突然

「宗教、はじめました」


と、冷やし中華的なことを言い放っても
笑える?……いや、笑えない。

今でも自分の中で「一番無い選択肢」として君臨している宗教家なわけだけど、ふと思う事がある。


わたしが今このnoteであれこれ発信しているのも、世の人がSNSで発信しているあれこれも、「推してくれる人」が1人でもいるのならそれってある意味、宗教じゃね?と。

メンターと呼べる人や、興味のある分野の発信者。
その専門的な分野のみならず、日常や生活習慣、何だったら思考や物の見方まで「尊敬」や「崇拝」をしているのであれば、それは立派な宗教なんじゃないかと。

占い師が言い放った

「あなた、宗教とか向いてるのよ!」

は、今の所、そしておそらくこれからも現実の職業としては当てはまる事はない。

だけど、そのベースにある「発言に力がある」という鑑定は発信を続けるわたしにとって心強いひと言になっている。

その占い師に「46から52まで、仕事運悪すぎて全然定職には就けないからね」とも言われたけれど、それも当たってるな。悔しい。

でも裏を返せば、自分の人生と向き合う機会に巡り会えて、自分が本当に生きていきたい世界線を見つけられたのは幸せなことだ。

これまでの実績も相まってぶっ飛んだ発言で人を驚かせ、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界を生業にしている人がいる、というのは考え過ぎ・完璧主義のわたしに「こんな生き方もあって良いんじゃないの?」と身をもって教えてくれた気がしている。

まっ、絶対本人はそんな事思ってないけどね。


ちなみにですが、わたし、占いも神も仏も
好きですからね。念の為。





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