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【仕事】楽しそう、それがすべて

2週間前に記事にした某面接。
面接っていうか、同年代の人とワチャーっと
喋って後味良く帰ってきたという感じでした。


面接の時に「採否は2週間後に」と言われていたのだけど、私の経験則からご縁がある所からのレスポンスは予定より早かったりする事が多いのでちょうど2週間後に当たる6月19日は、もう不採用の連絡がくるのだろうと思っていたのです。

そんな感覚で1日を過ごし、その日に会っていたツレにも「あかんと思うわ〜!」なんて喋っていたのに、結果【採用】になりました。

わわわ。
そんな事もあるのね。
(勝手に早めに切り上げてただけw)

ここに実際勤める事になるのは、まだ2ヶ月先。
こう言っては何だけど、時給は最低賃金。

でも、採否を待ってる間も
ここで働けたらなぁ〜という思いだけはずっと
消えなかったのです。

特段その店に思い入れがあるわけではないし、
その職種は好きだけどその為なら寝食惜しまず働きます!とはなれない程なのに、なぜかワクワクがありました。

これが直感と言えばそうなるし、
神のお告げと言われればそうなのかも知れない。

働き出してから思ってたのと違う!とならないとは言い切れないのだけれど、ただの「労働する場所」とだけでは割り切れない不思議な何かをずっと感じているのです。

面接の時に私の年齢を鑑みて、
「親御さんの事で今後色々出てくるかも知れませんけども、その時はまず何よりもそちらを優先してくださいね」と、こちらからは何も話していないのに温かい言葉も掛けてくれた。

あぁ。この人たちと働けるのなら、何かちょっとそこに行くのが楽しくなるかも知れない。

と、思う自分がいました。

お金を得るために働いているのだから、労働条件や賃金にこだわりを持つのは全くもって間違っていないと思う。むしろそれで頑張れるのならそれで良いじゃないか、とさえ思う。現に私だって、それで決めてきたことの方が多い。

とは言え、そこで頑張ってみても非正規を選んでいる限り収入のてっぺんは知れている上に、時給が上がれば何故か求められるものも多くなる。たった100円ぐらいしか違わない時給なのに、責任とか実働とか、まぁ増える。

そういうものもまるっと経験してきた上で、もうそれなら少しでも「楽しそう」という軸で仕事を見つけていっても良いのではないかと考えるようになった矢先に巡り合ったのが、今回の求人でした。

思考がすべてなのなら、仕事で嫌な思いをするのも
「〜だから仕方ない」と自分で半ば諦めているからではないでしょうか。

職場で何か起こると「仕事だから(嫌な思いしても)仕方ないよね」という思考は今後ひとまずお休みしてもらって、仕事でも何でも楽しく、わざわざ嫌な思いなんかしなくてもいいじゃん!のスタンスで生きていこうと思います。

これからがちょっと、いやかなり楽しみです。





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