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【エッセイ】映画「わが母の記」を巡る想い

普段は邦画より洋画を好んで観るタイプだが、「わが母の記」は原作者井上靖のご息女が、自分の所属している詩誌『焔』の同人というご縁もあり、これはぜひ観なければと映画館に足を運んだ。


長閑な山村を流れる清流、わさび田、木々の間から射し込む陽光。バッハのバイオリン協奏曲をBGMに映し出されるオープニング映像は、子供の頃愛読した井上靖の小説『しろばんば』の湯ヶ島の風景を想起させる。
土蔵で暮らすおぬい婆さんと耕作の食卓や「おめざ」の慣習が、当時一番好きなシーンだったと、映画館でスクリーンを観ながら、ふと思い出した。


小学生の時に読んだ『しろばんば』には、母と離れて暮らし、祖父のお妾さんであったおぬい婆さんに預けられた耕作の寂しさが描かれていた。
井上靖原作の映画『わが母の記』もそれが根底にある。『しろばんば』で少年だった耕作は映画『わが母の記』では大作家伊上耕作(役所広司)となり、幼少期に「母に捨てられた」との蟠(わだかま)りを心の奥に抱く。

それでも妻や三人の娘(冒頭で述べた『焔』同人の方は、宮崎あおいが演じた三女琴子役のモデル)、妹たちに支えられ、認知症になった母(樹木希林)と向き合う。三女の琴子は映画のヒロインであり、同人の方を思い浮かべながら、琴子に注目してストーリーを追っていた。
だが、意外にも心の琴線に触れたのはそれとは違った場面だった。


自分も『しろばんば』を読んだ当時から四十年余りの歳月が経ち、この映画が封切られた二〇一二年に認知症だった母を見送った。それだけに映画盤、心の琴線に甚く触れた場面がある。郷里の湯ヶ島で母を看取った妹志加子(キムラ緑子)からの電話に、耕作が労った台詞だ。


「心から感謝している。お袋も喜んでいるさ。一番世話になったおまえたちに、最後まで看取ってもらったんだから。ありがとう。」


親の介護を経験した者にとって、この言葉はどれだけ救いになるだろう。古き良き日本の家族の姿だと割と淡々と観ていたのだが、この言葉で一挙に胸を突かれ、スクリーンの志加子が泣き崩れるのと同時に、自分も客席で滂沱の涙を流していた。

人の痛みに寄り添う伊上耕作の言葉は、そのまま原作者の井上靖の人間性を語っている。作品を生み出すことは、自身の人間性の投影なのだ。そしてそれは三女琴子役のモデルとなった『焔』同人のお人柄にも受け継がれている。

久々に映画館で観た邦画は、想像以上に切なくも温かい波紋を起こした。それは今も胸に響き、未だに余韻が残っている。




*総合詩誌『PO』178号掲載

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