見出し画像

「走りの巧さ」について思うこと 2020/05/22

最近自分のnoteを見返してみると、
1年以上書いているということもあり、
大分本数が溜まってきたなと感じる一方で、

「ヤバい…競技に関する投稿がほぼない…」

という競技者(ランナー)としては致命的な印象を受けたので、今回は競技に関することを書いていきたいと思います。

(ケニアにある足が速い女生徒が多いであろうと推測できるセコ女子高校の看板 ほとんどケニアに関することか、なにかくだらないことを言ってるだけのnote)


参考にするため、
同じランナーの方々のnoteを読んでみると、かなり真面目な体裁のものが多く、

「な、なるほど…」
「競技に関することを書くときはこんな感じなのですね…参考になります」

といった感じで読ませて頂きました。。

(GMOアスリーツの近藤選手のnote とても分かりやすく知的な印象を受けます)

では自分はなにを書こうかなといったところで、これが中々難しい。
競技に関するテーマというのは幅が広く、そして自分は専門家といえば専門家であるものの、その分野の研究者でもなく主観的なことしか言えないため、なにかお題がほしいと考えていました。

そんなとき、
先日Twitterのフィードをみていたところ、
東京国際大学駅伝部コーチの松村さん『走りの巧さ(うまさ)』という表現をされており、
自分の中ではその表現がすごく的確というか、なにか刺さるものがあったので、それについて感じたことを書いていきたいと思います。

(松村さんtaka_hiraiさん三津家さんが意見を出し合っている様子)


僕はバイオメカニクスの専門家やトレーナーでもないので、科学的な裏付けをきちんと並べて述べることはできないですが、『走りの巧さ』というのはやはり存在しているというのは自分が走っていても感じます。

「あの選手、走り方が巧いなあ」

という印象は特に速い選手をみていて感じることです。
ケニアでトレーニングしていても走りが巧い選手は沢山いて、どうやったら自分もあんな感じで走れるだろうとよく考えてしまいます。
元々の骨格の問題なども関係していると思いますが、ある程度後天的にその『走りの巧さ』を身につけるために、僕を含めて今の時代はいろんな方々が多種多様なアプローチの仕方をしているかと思います。

特にフィジカルトレーニングやランニングドリルで、走動作に関連する筋を鍛えたり、走る際の意識付けを行ったりなどは特にここ数年で現場に浸透してきたように感じています。

(青山学院大学のフィジカルトレーニングは有名 筆者も購入しました)

また、Twitterのフィードにもあったような繰り返し走ることによって『走りを巧くする』というのもすごく効果的な方法だと思います。何度も反復することにより、自分にとっての最適な走りを身体に落とし込んでいくというやり方が長距離種目においては一般的な気がします。
もちろん練習することによって生理学的な負荷がかかり、身体的な能力(心肺機能や骨格筋群など)が向上するということが前提ですが、その過程で『走りの巧さ』、すなわち身体の操作の仕方が向上するという感覚が個人的にはあります。

(繰り返し走ることで『走りの巧さ』が向上する)

またレースにおいてもそのような感覚はあると個人的には思っていて、特に記録会のようなレースではその辺りがより顕著に出るのかなと感じます。
日体大記録会の最終組付近はタイムが出るというのは有名ですが、ここでもその『走りの巧さ』が関連している気がします。

そもそも速いペースに対応できる競技レベルの高い選手が集まってきていることや、気温や風などの外的なコンディションもいいことは前提です。

個人的には、この競技レベルの高い選手たちが集まるというところがひとつのタイムが出るポイントだと思っていて、競技レベルの高い選手たちの『走りのリズム』がその組のなかで浸透していて、全体のタイムに対していい影響を与えているのかなと感じています。
(あくまで個人的な考えですが…)

『走りの巧さは伝達する』

そう感じることがレースやトレーニングを行っていても多々あります。

(日体大記録会最終組の様子 洗練された走りのランナーが多く、ほかの組と違った印象を受ける)


トレーニングを行っていたケニアでも、
集団を形成してトレーニングをする中で、
強い選手の後ろで走っていると自分もその恩恵を受けているような気がします。
前の選手の後ろで走っている風よけなどの効果ももちろんあるのですが、その選手の身体の動かし方を視覚的に捉えてそれに合わせたり、自分の走りを客観的にみる余裕ができたりするので、やはり一緒に走る人の影響は受けていると感じます。

特に強いチームには『走りの巧い選手』が揃っているので、そこのチームで練習することによって得られる影響はかなり大きいように思います。
仮に同じ設定タイム、同じ距離設定で練習を行っても、その練習における効果の違いは出てくるではないでしょうか。

(ケニアでトレーニングする様子 集団の恩恵を受けていると感じる機会が多い)

またレースにおいては、レースの流れという言葉もよく聞き、耳にします。
集団が刻むペースや、走りのリズムに無理なく自分を合わせていけるか、勝負どころまで余計なエネルギーを使わずにいけるかなどは、レースに出場する際に気をつけている方も多いと思います。

練習やレース中に
『ペースに上手くハマった』
という状態を主観的に感じることがあるかと思いますが、
このときはそのペースに対して自分が身体的にも、走動作的にも無理なく適応できている状態と表現することができるのではないでしょうか。
逆にいうと、『ペースにうまくハマらなかった』というときは、自分がそのペースに対してうまく適応できなかったといえるような気がします。

どのレースにおいてもこの状態を作ることは重要かと思うのですが、
とりわけマラソンにおいてはこの部分がすごく大切な気がしています。
あくまで主観的な感覚なのですが、
刻んでいくペースが自分にとって遅くもなく、速くもなくという状態が理想だと思っていて、レースに対して自分の走りが最適化できていると感じられる時は結果もいいような気がします。

(マラソンレースの写真 レースペースに対して最適化できる状態に仕上げておくことが必要)


特に、個人的には試合のときにいきなり練習で経験していないペースで走ると適応できない場合が多いので、このあたりを練習で補っていく必要があると思っています。

選手の中には、練習でこなしていないペースでも試合ですぐ適応できるタイプの方もいると思いますが、こういうタイプの選手はすごく走りが器用なイメージがあります。
僕も常にレースペースの練習しかしていないわけではないですし、もちろんレースより遅いペースで練習することもあります。

そういう場合はトレーニングを行う目的として、トレーニングによって得られる生理学的な負荷よりも、走動作に対するイメージを良くする意味合いで実施しているような気がします。
(両方ありますが、どちらかといえば後者)

あと補足するならば、
長距離種目は身体の疲労との勝負という側面も否めないと思うので、常に最大の強度をかけるポイント練習のみ行うわけではなく、強度をおさえて疲労をコントロールするポイント練習という位置付けとして行っている場合が多いです。
(特にレース前の調整期の練習などはこれに該当する)
そのときに、より練習に対して意味合いを持たせるために、走動作に対するアプローチも同時に行っています。

(時には練習においてひいてみることも必要 筆者のようにいつも疲労抜きの練習ばかりだと強くなれませんが…)

これに関しては練習計画の段階でうまく期分けを行い、自分がどの期間でどのような状態でいるのかということをある程度事前にイメージしておくことが必要になってくるかと思います。
そうしておけば、調子が思ったように上がっていない状態でもそこに意図があるので、一喜一憂せずに済むかと思います。

【トレーニングに関しての文献や情報ソースの例】
・リディアードのランニングバイブル
・ダニエルズのランニングフォーミュラ
などの書籍は多くの人が参考にしているようなイメージ

「遅いペースのインターバルで速くなる理由」
「市民ランナー高速化プロジェクト」
「明日から役立つスポーツ科学ブログ」

また現在はnoteやTwitterなどでも参考になるような情報が取り上げられている

話は戻りますが、
『走りの巧さ』については
色々な方面からアプローチすることが可能で、
このことに関しては人それぞれの感覚や意見があると思います。

今回は自分が思ったことや考えたことをただ書いてみただけですが、自分以外の人がどのような取り組みでどう感じながら取り組んでいるかなどは、すごく興味があります。

ただ具体例として知ることは有意義だと思うのですが、人それぞれ個体差があるのは当然なので、それを自分にどう生かすかは考えなければならないと思っています。

自分に取り入れるからには、どんな取り組みにしろ、結果的に自分が速くならなければ競技者としては意味がないので、そのところは常に念頭に置くように心がけています。

僕もいろんな情報を取り入れたり、自分に生かしたりするのは好きなのですが、
「結局何のためにこれをやってるんだっけ?」
となることが多々あるので、情報が沢山入ってくるこのような時代だからこそシンプルに考えることは大切かなと思っています。

(シンプルといえば思い付く人物 スティーブ・ジョブズ 禅に傾倒していたことからその思考を自身の経営に生かした)

僕も『走るのが巧くなりたい』と思う一方で、
ランニングフォームの美しさを競う競技ではない、
「身体をスタート地点からゴール地点まで速く運ぶ競技」という根本的なところを見落とさずに取り組んでいけたらと思っています。

結果的に速く走るのには、『走りの巧さ』がひとつの必要な要素だというのは前提なわけですが、
手段が目的にならないようにしていきたいと思います

( とはいえ、速く走れる選手の走りは美しく憧れを抱く WWD記事より引用 マラソン世界記録保持者のキプチョゲ選手)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?