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かいぎ【会議】

ひとつ教えておく。会議というのは、議論をせずに済ますためのシステムにほかならない。活発な議論がかわされる会議は、うちの国では「紛糾した」とか言われて新聞記者に嘲笑されることになっている。
~小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」

かいけんのもくひょう【改憲の目標】

一言で言えば、改憲を「旗艦」とする自民党政策のねらいは社会の「機動化」(mobilization)である。国民の政治的統合とか、国富の増大とか、国民文化の洗練とかいう、聞き飽きた種類の惰性的な国家目標をもう掲げていない。改憲の目標は「強い日本人」たちのそのつどの要請に従って即時に自在に改変できるような「可塑的で流動的な国家システム」の構築である(変幻自在な国家システムについて「構築」という語はあまりに不適当だが)。(中略)国家システムを「機動化する」「ゲル化する」「不定形化する」ことによって、個別グローバル企業のその都度の利益追求に迅速に対応できる「国づくり」(というよりはむしろ「国こわし」)をめざした政治運動はたぶん政治史上はじめて出現したものである。そして、安倍自民党の改憲案の起草者たちは、彼らが実は政治史上画期的な文言を書き連ねていたことに気づいていない。
~内田樹『街場の天皇論』

かいしゃ【会社】

会社って「問題のあるもの」が好きじゃないんだなとつくづく思う。不揃いなもの、前例のないもの、発想の違ったものを、それはほとんど自動的に排除していく。そんな流れの中で、個人として「腹をくくれる」社員がどれくらいいるかで、会社の器量みたいなものが決まっていくような気がする。
~村上春樹

かいたぶんだけ【書いた分だけ】 

真っ白な気持ちは書いた分だけ黒くなる 
白紙の海泳ぐ黒い線にいつか 真っ赤な花が咲くその日まで
~クリープハイプ『破花』

ガジュマル【細葉榕】

それから海岸沿いにたくさん生えているガジュマルの神聖な姿。ただ生えているだけなのに、まるで巨大な彫刻のように美しく見えた。複雑にからまり合った枝の下で憩えばまるで充電されるように、抱かれているように落ち着いた。並んでいるとまるでいろいろな精霊が語り合っているような雰囲気があった。
~よしもとばなな『海のふた』 2018/07/18

かじょうなけいご【過剰な敬語】

「過剰な敬語を使う人間のうさんくささ」
「厳重な丁寧語の壁の向こう側に隠蔽されているもののけたくその悪さ」
「させていただく敬語の気持ちの悪さ」
「敬語の鎧で自らを防衛せんとしている人間の内実の脆弱さ」
~小田嶋隆『ア・ピース・オブ・警句』

かみ【神】

自分が神を信じていることに気付く。唐突にその事実を発見する。まるで足の裏が柔らかな泥の底に固い地盤を見出すように。
~村上春樹『1Q84』

かみ【神】

「冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる」
~カール・ユング

かみさま【神様】

「全部神様に言ってくるから」
~シリアで亡くなった子供の最期の言葉

かわのながれ【川】

壮大な考えとみみっちい心配の全てがこの景色のように無造作に、でも美しい秩序を持って存在している。川の流れを見つめていると、ただそうしているだけで無限に何かを蓄えている感じがする。
~よしもとばなな『ハゴロモ』 2011/10/10

かんごし【看護師】

医療の現場というのは、「人間の身体という生もの」を扱っているために、経験知が理論知に優先することがある。なぜそれがわかるのか説明できないが、わかる。なぜそれができるのか説明できないが、できる。そういった経験知なしには、医療の現場は成り立たない。ナースというのは、そういう仕事をしている人たちである。
~内田樹

かんぜん【完全】

ものごとがあまりに完全だと、そのあとに決まって反動がやってくる。
~村上春樹『1Q84』

きき【危機】

「危機」というのは、「それまでなら誰でも金さえあれば手に入ったものが、手に入らなくなるとき」のことである。そういうネットワークの構築には長い時間とこまやかな配慮と自分の側からの絶えざるオーバーアチーブが必要である。それは、植物を育てるように、毎日丹念に手入れして、たいせつに作り上げてゆくものなのである。自分の生命を託す自動車のエンジンや制動装置や足回りをこまめに点検するのとそれほど違う仕事ではない。「壊れてからJAFを呼べばいい」ということが「できない」ときのための備えなのである。
~内田樹

ききにそなえる【危機に備える】

だから、「危機に備える」というのは、貯金することでも、他人を蹴落として生き延びるエゴイズムを養うことでもなく、「自己利益よりも公共的な利益を優先させることの必要性を理解できる程度に知的であること」である。いま「 」で括った部分を一言に言い換えると、「倫理的」となる。
~内田樹

きずつく【傷つく】

傷ついたのは、生きたからである。 
~高見順

きにするな【気にするな】

人の言うことは気にするな。「こうすれば、ああ言われるだろう…」こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
~ジョン・レノン

きみのなみだ【涙】 

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
~志村正彦『茜色の夕日』

きゃく【客】

お客さんは結局何を聴きに来ているかというと、その人柄を聴きに来ている。全部剥ぎ取ってしまった、骨だけにしてしまったところの人柄。
~柳家小三治

キャリア【career】

キャリアは他人のためのもの
~内田樹『街場のメディア論』

きょういく【教育】  

学校で習ったことをみんな忘れてしまったとしても、そのあとに残っているものである。 
~アインシュタイン

きょうかいせん【境界線】

ものごとの境界線上にあるものって・・・いいですよね。おかずとごはんをまぜると異様においしいし。里山や海辺は表情豊かだし、昼と夜、夜と朝の境目は美しい。蟲の居所も、境界線上です。まぜごはんや海辺のような・・・そんな話を描きたいです。
~漆原友紀『蟲師』

きんちょう【緊張】

「緊張できることをやらせてもらっていることを、幸せだと思うことだよ」 ~タモリ

きんにく【筋肉】 

筋肉は覚えの良い使役動物に似ている。我々の筋肉はずいぶん律儀なパーソナリティーの持ち主だ。生身の動物と同じで、できれば楽をして暮らしたいと思っているから、負荷が与えられなくなれば、安心して記憶を解除していく。
筋肉に対してしっかりと引導を渡しておく必要がある。「これは生半可なことじゃないんだからな」という曇りのないメッセージを相手に伝えておかなくてはならない。パンクしない程度に、しかし容赦のない緊張関係を維持しておかなくてはならない。
~村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

くつう【苦痛】

「苦痛というのは簡単に一般化できるものじゃないんだ。個々の苦痛には個々の特性がある。トルストイの有名な一節を少し言い換えさせてもらえば、快楽というのはだいたいどれも似たようなものだが、苦痛にはひとつひとつ微妙な差違がある。味わいとまでは言えないだろうがね」
~村上春樹『1Q84』

クリスマス【Christmas】

死ぬときはクリスマスだといい。枕元にツリーのあるあたたかい部屋のベッドの中から、つくりもののりんごの赤や、金や銀のモールや、ひいらぎの輪っかをみつめて、キャンドルと賛美歌と、まぶしい光に包まれたい。仲の良い人々も、今まで仲のあまり良くなかった人々も、けんか別れした人々も、みんなとりあえずにぎやかに集っていて、部屋の仲が笑いでざわめいているといい。そんな中で眠るように息をひきとれたらいいと思う。みんないるから、まだ、もうちょっとだけ起きていたいけど、ああ、どうしてもだめ、まぶたがとじちゃう、ちょっとだけ、うとうとしてまた起きよう、ちょっとだけね。みんなまだ起きてるといいな。……と思いながら死にたい。
~よしもとばなな『ホーリー』

クリスマスプレゼント【Christmas Gift】 

他にもキリスト教由来の儀礼はいくつもあるのに、なぜクリスマス(プレゼント)だけが例外的にスケールが巨大なのか。それはこれが「贈与」の儀礼だからだと僕は思います。いかなる見返りも求めない一方的な贈り物の儀礼。
なにしろ、子どもたちにプレゼントをする親たちは「贈り主であるのに、あえて名乗らない」んですから。親たちがあえて固有名を名乗らず、「サンタさん」という偽名を全員が採用している。それはこの儀礼が贈与の本質を教えることを目的としているからでしょう。最初からそれが目的の儀礼であったかどうかは知りませんが、いつのまにか、クリスマスの「親から子へのプレゼント」だけが「純粋贈与」儀礼として典礼化し、生き残った。「純粋贈与」というのは「返礼をすることができない」ということです。
〜内田樹『困難な成熟』

けいざいかつどう【経済活動】

人間が経済活動をするのは社会的成熟を果すためです。そうであるなら、できるだけ多くの人間が経済活動に参加することの方が生産性や利益率や株価よりもはるかに重要です。(中略)僕たちが過去20年間のグローバル資本主義の推移を通じて学んだことは、グローバル資本主義は雇用機会の拡大にも、市民たちひとりひとりの市民的成熟にも何の関心もないということでした。ということは、グローバル資本主義のルールの下で行われているもろもろの営みは言葉の正確な意味での経済活動ではないということです。
~内田樹『ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ』

けいぞく【継続】

身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説を描いているときと同じ要領だ。もっと書き続けられそうなところで、思い切って筆を置く。そうすれば翌日の作業のとりかかりが楽になる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気を使っても気をつかいすぎることはない。
~村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

けいだんれんのかいちょう【経団連の会長】

私は、経団連の会長のような立場の人間は、秋刀魚の裏表も分からない状態で執務させておくのが本人のためにも無難なのだと思っている。なんというのか、「象徴」的な地位の人間を、神輿の上に座らせて無力化することは、この国の組織人たちが長い歴史の中で学び得た知恵なのであって、最高権力者から実務的な権力を引き剥がして、単なる「権威」として遇するのは、組織防衛上の安全策なのである。むしろ、ああいう役柄の人間が、暴れん坊将軍よろしく市井の悪逆非道を手ずから正しにかかったりしたら、現場は大混乱に陥るだろう。
~小田嶋隆

げいにん【芸人】

ネタやらないテレビタレント芸人が偉いって世界をひっくり返して舞台でネタをしてるやつが一番て世界にしてやる、みとけよ
~村本大輔(ウーマンラッシュアワー)

けんこう【健康】

肉体が健康じゃなければ、魂の不健康なところをとことん見届けることが出来ない。僕の言う健康というのは数値的なものではなく、自分が与えられた肉体を、それがどのようなものであれどこまで前向きに扱えるかということが主眼になります。身体が健康になったから魂もクリーンになりました、なんてことはありえない。
~村上春樹

けんこうほう【健康法】

真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしないという金言がある、というのは真っ赤な嘘だ。僕がさっき適当に作った。すみません。
たしかに真の紳士は自分の健康法について、人前でべらべらしゃべりまくったりしないだろう。そういう気がする。
~村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

げんごうよそう【元号予想】

後輩が「ゼミの8人でステーキ賭けて元号予想したんすけど、比較的頭の良い連中は過去傾向から昭和の和は使わないと予想して全滅。屁をしてウンコを漏らす様な奴が健康で平和がいいと康和、田村正和ファンが正和と予想してこの2人に奢る事になりました。納得いきません」人生とはこんなものやも知れぬ
~佐原ディーン

げんぱつ【原発】

日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。技術力を結集し、持てる叡智(えいち)を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった。それが、広島、長崎の犠牲者に対する、集合的責任の取り方となったはずだ。
~村上春樹

げんぱつじこ【原発事故】

地震国の日本は世界第三の原発大国となり、原発に疑問を呈する人には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られた。だが原発は今、無残な状態に陥った。原発推進派の「現実」とは「便宜」にすぎなかった。論理をすり替えていたのだ。(福島事故は)すり替えを許してきた日本人の倫理と規範の敗北でもある。われわれは自らも告発しなければならない。
損なわれた倫理や規範は簡単に修復できないが、それはわれわれ全員の仕事だ。新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはならない。夢を見ることを恐れてはならない。「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追い付かせてはならない。われわれは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならない。
~村上春樹

けんばん【鍵盤】

鍵盤の見た目ウキウキ感は、押せば素敵そうな「ボタン」がずらっと並んでいること。華やかなラインダンスの踊り子たちが今か今かとそわそわしている感じにも近い。
~寛生

こくさいきょうそう【国際競争】

 政治家もビジネスマンもメディアも『国際競争力を高めなければ日本は生き残れない』と盛んに言い立てますけれど、彼らが言っている『国際競争』というのは平たく言えばコストカットのことなんです。
~内田樹

こころをこめる【心を込める】

心を込めずに言葉を探すより、言葉を探さずに祈りに心を込める方がよい
~ガンジー

こどく【孤独】

「だって、孤独は前提でしょ」
~谷川俊太郎

ことばのいみ【言葉】

言葉は生まれ、死んでいくものもある。生きている間に変わっっていくものもあるのです。言葉の意味を知りたいとは誰かの考えや気持ちを正確に知りたいということ。それは人とつながりたいという願望ではないでしょうか。だから私たちは今を生きている人たちに向けて辞書を作らなければならない。
~『舟を編む』

ことばのおもみ【言葉】

言葉の重みや深みというのは、それを書いた人が、その生き方そのものを通じて「債務保証」するものです。
~内田樹『街場のメディア論』

コミュニケーション【communication】 

コミュニケーションの現場では、理解できたりできなかったり、いろんな音が聴こえてるはずなんです。それを「ノイズ」として切り捨てるか、「声」として拾い上げるかは聴き手が決めることです。
そのとき、できるだけ可聴音域を広げて、拾える言葉の数を増やしていく人がコミュニケーション能力を育てていける人だと思うんです。
もちろん拾う言葉の数が増えると、メッセージの意味は複雑になるから、それを理解するためのフレームワークは絶えずヴァージョン・アップしていかないと追いつかない。
それはすごく手間のかかる仕事ですよね。
そのとき、「もう少しで『声』として聞こえるようになるかもしれないノイズ」をあえて引き受けるか、面倒だからそんなものは切り捨てるかで、その人のそれから後のコミュニケーション能力が決定的に違ってしまうような気がする。
〜内田樹『14歳の子を持つ親たちへ』

こよいこそは【今宵こそは】 

真っ赤なお鼻のトナカイさんは いつもみんなの笑い者
でもその年のクリスマスの日 サンタのおじさんは言いました
暗い夜道はピカピカのおまえの鼻が役に立つのさ
いつも泣いてたトナカイさんは 今宵こそはと喜びました 
~『赤鼻のトナカイ』