私の芸術運動224運の尽き

いつからだろう?

多分今年になったごろからふつふつとうちから湧いてくるなんとも言えない気持ちがあって、それが次第に強まって今年の夏頃にはそれがいよいよかな?という気にさせて、ついにそれが目の前の現実となって現れてきた気がする、どこか懐かしいこのヒリヒリとした感覚、昔にも同じような気分になったことがあったと思うけど私もその当時はまだ若かったからか勢いで乗り越えてきた、30歳を過ぎたいま、また同じような気分になっている、こらが正しいことなのか?どうか?私にはわからない。

だけど決してネガティブな感情に左右されているわけじゃない、色んな感情が渦巻いていて、その中のどれに自分が飛び込んでゆくのか?という選択肢が与えられてる。

だけどこの選択肢もどこか違う、どれもしっくりこない、今まで通りにはいかないんだろう。

私は昔から自分の事を表面的には運の悪い奴と思っていたし、それをネタに周りの人達を笑わせたりした、だけど肝心な時、いざという時には想像もつかない縁に救われて来た、実の所自分はなんて幸運な人間なんだと思っている、理由のわからない幸運、こんなものいつまでも続かない、いつかは尽きる、そう思ってる、だっておかしいよ、こんな私のような人間がなぜかここまでこうしてフワッと幸せに生きてこられたなんて、奇跡としか思えない、感謝してもしきれない恩を受けてる、いつか尽きなきゃ帳尻が合わないじゃないですか!

感謝しかないんです、なのに、私はいつもフワッと浮き上がって糸の切れた凧の様にどこかに飛んでいってしまう、幸運に甘んじて生きていくのが苦手なんだ、いつかどこかで尽きるであろうこの運が怖い。

だから、運が尽きた後もなんとか1人の力で生きていける、そんな本当の人間としての力が欲しいと思うわけです、運が尽きたら人生が終わる、その時まで待っているなんて私には怖くてとても出来そうにない、1人でも飄々と生きていけるようになりたいのですが、これがまた厄介で、結局私を孤独の淵に突き落とすような事にも思える、本来味わなくても良い事、味わう必要がなければそれに越したことはないんじゃないか?と思うのです、しかしそれじゃ私の人間としての漠然とした不安は消せない、私は弱い人間ですらね。

そのための絵なのだろうと私は思う、私は自分の事を画家だと言いながら、描いた絵でお金を得る、それによって生活するための努力を一切して無い。笑

努力をすれば食っていけるようになるほど甘い世界じゃないのも知ってる、その上でもなぜか金に執着はない、むしろ絵を描くという行為自体に私の求めるものがある、絵を描く事によって自分という人間がどうなるのか?ということの方がはるかに価値を感じてる、売れなくても良い、金がなくても良い、とは思わない、お金があればそりゃー良い、そんなことは知っているけど、知っているだけだ。

多分、絵を描くという行為が自分の孤独と目の前の景色を繋ぐ、私から見た景色は私のもので、それから得たインスピレーションも私のものだ、つまり孤独という事です、言い方を変えればこの世界にあるものは全て孤独だと私は思う、孤独に苦しむとか悩むとかそういう事とは一線を画す、存在するという事自体がもう孤独の上でしか成り立たないと私は思う、その中で頑張って生きていこう、愛情を注ごう、楽しもう、思いっきり泣こう、笑おう、怒ろう、悲しもう、それは本当に素晴らしい事だし、みんながそれをして生きてる、孤独を自分のスタンダードに持って居ればもっといろんな事を面白く捉えられるはず、自分が孤独という事を表面的に忘れた人はなぜか人を孤独に追いやろうとする、いじめたり、苦しめたり、そんなことは可哀想だし面白くない。

私も絵を描いていなかったら、どういう人間になっていたかわからない、今でさえ私は周りの人から変だよとか、変わってるとか、頭おかしいと冗談まじりに言われる、私からすればみんなも充分おかしい、だって自分はおかしくないけどあの人はおかしいと判断する側に居ようとする人っておかしいでしょう明らかに。、笑

それが当たり前のように考えてるかもしれないけれど、それは自分を知らないからだよ?と私は言いたい、案外みんな自分のことは棚に上げて生きている、棚に上がるほど結構なものでも無いのになー。笑

これから私はどうなるのかな?多分絵は描くのだろうけど、それ以外は何も決まってない、このまま生きていけるとも思わない。


だから、面白いんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?