私の芸術運動209帳尻合わせの人生と芸術

絵を描く事がなぜこんなにも嬉しい事なのか、私には理由がよくわからないけれどもとにかく好きなのです、描くだけじゃなく、見るのも、読むのも、聞くのも、考えるのも、そして芸術とは切り離されたところで生活費を稼ぐ為の仕事には接客業を私は好みます。

外向的な部分では人に喜んでもらいたい、安心してもらいたい、という思いが強くあり、内向的な部分では自分の心の中の充実感、開放感、自由感、を求めています。

外向的側面と内向的側面は私の中では相互作用していて、自分が心の内で感じるこの嬉しい、楽しい、心がふわっと浮き上がる様な高揚感と自然の中に溶けてゆく様な安心感を接客業と画業を通してお会いできた方々に感じてもらいたいと思っているわけです。

これもそれも私の自己満に過ぎないと言われればその通りなのですが、私が満足する事は必須なのです。例え結果が伴わなくても私が満足することもあるでしょう、「ああ、こういう着地もあったんだな」という新しい発見をして人生の幅を広げて、豊かなものにしてゆきたいものです。お会いした方々の人生にも豊かさや新しい発見を、そうすれば私の自己満と呼ばれるものもそう悪くは無いものになる気が致します。

独善的な私の言い分が続いていますが、相手に気兼ねなく幸せになってもらうには、やはり私も幸せにならなくては!と思いますし、その逆もまた然りです。
しかしそれはその場でのお互いの幸せの等価交換とは違うもので、人生を見渡し、結果的に幸せな人生だったと思える様な感じで良いと思ってます。つまり最終的に帳尻が合えば良い。

それを信じて、今日を頑張って生きる、その積み重ねが人生と言えます。

努力がむくわれるか?は、わかりませんが、今日を頑張って強かに生きる、綺麗事ではありますが。

人生とは本当に不思議なもので、毎日がパターンに落ち着いてしまう時もあるでしょうけど、それが未来永劫続く事も無いわけです、もし続いているなら自分がそういう風に知らぬうちに意識して軌道を修正しているからだと私は思います。それはそれで素晴らしい軌道修正力だと思います。

その修正力で災難を無難に変えてると考えるべきですし、ありがたい事と思います。

今辛く悲しい思いをしている人もいるでしょうし、漠然とした不安の中を手探りで歩いている人も居ます、しかしそこから抜け出すために、逃げ出すのではなくて、それでも今日を頑張る人はいつかそこから脱げ出せる様になっています、自分なんて!と思わずに、いや、それでも頑張ってみよう、今日はこうしてみよう、明日はこうなるかもしれない、と思い直して生きて行って欲しいです。

そんな今日だけの為に私の芸術観や、それこそ私の描いた絵が誰かの心に響く事を願っております。

こんなもの何の役に立つんだ!!でも良いです。

しかし私の描く絵は、ごくごく普通のたわいも無いありふれたものでしか無く、しかし私はそこに人生の喜びや愛の様なものを見つけたいと考えています。

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