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私の芸術運動184radio talk

お盆の期間も終え、落ち着いた日常が戻ってくるかと思いましたがザワザワした感覚はスッと消える事はなく落ち着きがありません

仕事柄お盆の期間も働き詰めでなかなかハードでした、お盆明けも世間は夏休みだからなのか?相変わらず忙しい日々が続いております。

それに猛暑日が淡々と続いています、毎日同じ天気、気温、人混み、日々の忙しさに流されている様なそんな気がしますし、今年はまだまだ私が子供の頃に亡くなった父に線香の一本もあげられていません、心の中ではいつも感謝を持っていますが行動には移せていない、お盆の期間くらい線香をあげたいと思っていましたがいろんな事も重なり実家に帰省する事もなく、私自身も微熱が続いていてぼんやり仕事をお休みもらってぼんやりしています。

頭痛と倦怠感と微熱、彼女は心配だと仕事中もLINEを送ってくれます、正直私自身はたいした事ないのですが、休む必要性は感じています。

お盆の期間は不思議で、世界は落ち着きがない様に感じました、私の心もソワソワして近所の神社に行って参拝したりしましたがどうも落ち着かないままです。

最近は映画欲、読書欲が増していて私自身も新しい感覚や教養を得たいと思っている様で、あれこれ余計な事まで考えてしまいます、今日もこれから絵を描き、完成させるという思いが湧いています。

描きかけの絵画を眺めながら私は今日も考えていました、亡くなった父が今の私を見たらどう思うだろう?私の知らない先祖の方々が末裔である私を見にきたらどう思うだろう?と。

私は今までもずっと自分の絵画について色々考えてきました、自分が描く意味、描いた絵の意味、そういう人生を選択した意味、ひいては自分の意味について。

その意味は見つからない事がほとんどで、見つからないからこそ生きていける面があるのも知っています、こんな事は人に話す様な事じゃないので身近な人にすら話しませんけれども、実はみんなうっすらこれに近しい事は考えて生きているはずです。

私は絵画を描く者として日常的に考えます、それによって生み出された絵画にどんな意味があるのか?はわかりませんが私の描く絵は酷くつまらないものに感じます、味気なく感じます。

しかし、私はそこに強烈なインスピレーションと芸術性を感じます、

いざこの感覚を誰かに説明しようとすると言葉が見つからず、何も説明できない、深みの無い、ただ描いただけの絵!の様に感じられてしまうのです、無理やりに言葉を当てはめるとそれこそよりつまらぬものを強調してしまう様な恐怖と虚しさが起こります。

私の絵がつまらないわけじゃないのは知っています。

正直に言いますと、現代においてSNSなどで自分のアナザーストーリーや絵画への想いや技法やらなんかを語りながら描いているのを見て私はどうしようもなく虚しく感じます、嘘で塗り固められたニュースを見ている様なそんな虚無感。

自分の作品に極論自分は関係ないとさえ思います

私は偶然、その景色に居合わせたただの渡世人、私だけがその景色を見たのでもなくて、他にもたくさんの人が今まで見てきたであろう景色を私が自分の芸術の様にいうのはどこか違和感があります。

描かさせてもらっている

見させてもらっている

それが全てであり、それがメディアを通すとつまらんものと感じてしまうのかもしれません。

つまらないものにしないために、自分の生い立ちや過去のトラウマ、感性と銘打って作品よりも多くの文字数を語り、パッケージして梱包して、リボンまでつけて、価値を持たせようとしているのではないだろうか?

私は自分の絵を語彙で包んで梱包したくは無いのです、しかし私の絵はまだまだ声が小さく、人見知りで、言いたい事も言わせられない技量しか持ち合わせていないから、そんな自分が情けなく感じています。

私にはあれほど強烈なインスピレーションを起こすのに、私がそのインスピレーションを絵にすると壊れたラジオみたいに途切れたり、音が割れたり、ザーーッザッーーと荒い音がしたり、悪い時は完全に沈黙してしまうのです。

だからって、代わりに私が話し始めてはもはやお笑いです。

私が描いた絵に喋らせたいのではありません

私の描いた絵画に語りかけてもらいたいわけです、見た人の心の中から声を引きずり出したいのです、心の声を!!あなたの心のラジオを聴きたいわけです。

私の好きな画家達が描いた絵は、まさにそれで、説明を聴きたいのではありません、私の中から何かが発せられるわけです。

私の絵画を媒介にあなたの心のラジオの音が聞こえます様に。

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