命の希釈
とあるギャラリーのオーナーの方から手紙を頂き、銀座にやって来た
僕が画家を決意して行動に移した時に出会った方だ
(絵をこれから描こうと思っていた3年前、初個展をどこでしょうかと右も左もわからぬ銀座の界隈でウロウロしていた時である、描く前からギャラリーに突撃していた自分をバカだなぁと今でも思う)
この方は当時からこんな僕の話を親身に聞いてくれたのだ
そして今でもこうして連絡をして来てくれる、何かと気にかけてくれているらしい
こういう方に何人かお会いできた事
素直に嬉しく思う
その反面、気を遣わせてしまっているのか?と思う僕の心は今、随分落ち込んでいるんだなと感じた、落ち込んでいる?いや、いじけているんだろう、思い通りにいかない事でいじけている、捻くれている、まさに子供の様だなと自分に対して感じた
オーナーの方と話し、喫茶店に入った、RANZU、ここには随分久しぶりに来た(銀座中央通り沿いの7丁目あたり)
今日は随分騒がしい
どうやらデモが行われているらしい、かなりの人数が列をなしプラカードを掲げ、横断幕をみんなで持ち上げ、大声で叫んでいる
「日本政府は、朝鮮人の幼児無償化を無視するな」
「反対」
「朝鮮人にも適用せよ」
歩行者天国がデモで埋め尽くされている
横断幕には朝鮮人の子供達の?手形が色取り取りに押されている
こうやって少しづつ時代は変わって行くんだろうか
僕はこの時代をどう捉えるべきか?
昨日の夜文豪、三島由紀夫のインタヴューを偶然目にした
「戦時中、いつ死ぬかもわからぬ最中に、人々は自分達が行きている今日に喜びを見出そうと必死に生きていた」
「終戦し、日本は崩壊するのだと思ったが、終戦日に見たあの木漏れ日は今も変わらず日本に降り注いでいる、感動を通り越した空白を感じた」
今の時代の人々は今日を生きる喜びというものを失っているように思う、何かのきっかけで気付けたりするが、間延びしたこの時代にはなかなかそうと思えまい
命を希釈して永らえているように感じる
それは平和だかだとも言える、だから否定は出来ないけれど
僕は芸術に命を注ぎたい(勝手にしろ)
しかし、何かがそれをすんなりいかさせてはくれない
年金、老後、貯金、社会的地位、世間体、安定
これらを無視して突き進んでいてもどうにもできない、虚しい気分にさせられる
なのに、情熱は衰えを知らず、筆を持ち、キャンバスに向かう
片や集団デモで銀座が埋め尽くされていたり
昇格して給料が上がったり
結婚したり
子供ができたり
皆で集まり近況を報告したり
仕事の愚痴を言い合ったり
そういったものから随分離れた所に来た気がして、とても清々しい反面、命を希釈出来きず、薄めて引き延ばすこともできず、生々しく毎日全てを全身に引き受け、今日を生きていくこの生活に対しての不安、喜び、葛藤
引き裂かれる心の隙間に確かに生きる!という事を強く感じてる
引き裂かれた心の間には芸術があった
それがなければもう死んでた(死んだように生きていた)
芸術は苦しい、その苦しみが自分の人生を喜ばしいものに変えている
もっと強くならなきゃならないと思った
28歳の若造が何を言って、、、
と僕自身が思う
何だかんだ心が騒がしいけれど
絵画は着実に進んでいる
一種呪い、いや、使命感に似たものに突き動かされている
自分の心を何かで薄めて誤魔化して生きていく気は無い
純粋芸術をする
「あんたまだ若いんだから頑張れば先生のようになれるわよ」
と励まされたけれど
僕はその先生のようになる気は無い!笑
自分が良しと思う芸術をやる以外に無い
自分がやりたい芸術を誰かがやっているなら、僕は鑑賞者になるんだろう
けれど、多分、まだそういうものに出会っていない、僕が本当にいいと思うものは僕にしか創れない
僕にしかできない、僕の芸術がある
死ぬまでにそれを描きたい
努力します
挑戦する機会、時間をくれて心から感謝いたします
結局のところ、自分の芸術のためにどれほどの情熱を注いだかが一番重要なんだ
命を希釈していては到底無理だろ
かといって死ぬ気も無いよ
太くドシッと構えて今日を、今日を生きよう。
自分にはそれが、芸術が叶うという自信がある
これじゃまだ無理だなぁ😂笑
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