私の芸術運動150天然色

状況は何も良くなっておらず、むしろ悪化の一途。部屋の電気もガスも止まって私は何故か心が躍り始めた。

電気が止まってキャンドルつけて、ガスが止まって風呂に入らない、ただそれだけのこと、真っ暗な部屋の中で、窓を開けて月明かりを頼りに禁煙中の私らタバコに火をつける。

ただそれだけの事だった、後は寝るだけじゃ無いか。

いずれ電気やガスは再開すればいつでも着く様になる、だったら私はこんな今を、期間限定の今を思いっきりドラマティックに仕上げたい。

私が油絵に込める思いもそんな様なものだ。まるで映画のワンシーンの様に、本の一小説の様に、音楽のサビに行く手前の様に、それらの前後にもストーリーは繋がって行くけれど、私はその一瞬を表現する、その前後のストーリーを味わい深くするための秘訣です。

その怒りや、悲しみや、喜びをぶつければアートなら誰でもできる、芸術は誰にでもできるけど、それはSNSの投稿となんも変わらねーと思ったりするんです、そんな結果や現状報告なんかじゃなくて忘れられない瞬間を大切にしたい、他の人からしたらなんて事はない人生のワンシーンが私には強烈に輝いて見えるならそれを描く、私はそういう感覚を持っていて、それは後に人類を奮い立たせる時が来る、駆り立てる時が来ると感じてる、そのワンシーンに感動を覚えたならその前後のストーリーは繋がってゆく、それを辿るうちに居ても立っても居られなくなって、人は動き始める。

意味のない事をさも意味がありそうにしたいんじゃない、意味がなさそうに見えるものの中にある本当の意味を知りたいわけです。

埋もれていっちゃうものじゃない、流行り廃りなんかじゃ無い。

本当の美しさとはなんなのか?

私の好きな歌で例えるなら大瀧詠一さんの「君は天然色」

あんな感覚です。

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