私の芸術運動154時代が変わる

なぜか不思議と今の今まで生きてこれました、命をかけた危険な人生を送ってきたわけじゃありませんが今こうして生きている事はとてつもなく運の良かった事だと感じますし、その上で私は自分の好きな油絵を描き続け32歳まで平凡に暮らす事が出来ています。

何も問題はなかったか?と言われればそんな事はもちろんありませんが、それでもこうして今を生きています、本当に自分で感心してしまいます。笑

よく耳にするのは九死に一生を得て日常の有り難さに気づいたという話、だけど九死に一生を得るまで日常の有り難さに気付けなかったとも取れます、戦後から急速に日本は発展して、西洋の文化も混じり、飛躍的に国として成り上がっていった歴史があります、しかしその反面で、人間的な何かが変容した様にも感じています、九死に一生を得なければ日常に感謝できない人が増えた様に感じるのです、此処でまた一つ人間としての壁にぶつかっています。

私も油絵を描き日常を眺めていなければ忘れてしまっていたかもしれない感覚です、そう考えるととても恐ろしいものがあります。

義務教育を経て、就職、結婚、子供、老後!

それぞれの人生に美しいものがあるでしょう

しかし、何かが抜け落ちてしまった様な気がする時はありませんか?丸くなったという表現もある様に、社会にもまれて社会にハマる形に丸みを帯びたのでしょう、だけど心のどこかはキュウキュウとしていて、どうしたって拭えない虚しいものが心の片隅に沈澱しているはずです。

何かを誤魔化して忘れてしまった事があるでしょう、それが心の片隅に沈澱しています、そういうものだと言ってしまえばそういうものさ!!で納得してしまいます

だけどこの社会にはそういうものだ!が多すぎやしませんか?

そうやって自分に言い聞かせる事が多すぎやしませんか?

自分の子供にもそういうものだ!と教えるしか無いのはどこか虚しく無いですか?

そういうものだ!と言ってる間に世界は実は大きく変化している気がします、特に最近は大きくうねり始めた様な。

これからは、自分がどういう人間でどうしたいのか?が重要な価値を持つ時代になる気がします、逆に、相手がどういう人間なのか?を考え、受け入れていく時です、こういうものだ!!はこれからそれは誰の意見なの?と切り返されて言葉に詰まってしまう事が増えるんじゃ無いでしょうか。

「それはわかったけど、あなたはどう思う?」

そう聞かれて答えられるほど自分の事を理解しているか?

時代が変わる時というのは外的要因で大きく改革される時と、民衆の在り方の変化の様な内的要因で社会の方が変わらざるを得ない時との二通りあると思われます。

今は人の方が今の社会のあり方に少しずつずれを感じてきている様に思います、これから自分達で作り上げて行く時でしょう

自分がどうしたいのか?どういう社会だったらみんなが幸せに暮らせるか?

そういう世界になれば私の様な画家を始め、それぞれが自分のライフスタイルを確立して、より良い社会のために活躍していける時代が来ます、何かにぶら下がって、恩恵を取り合わなくてすみます。

私は私の世界を目指します、世界というと大袈裟ですかね、夢を諦めずに死ぬまで描き続けてゆきます

自分の夢を諦める?そんなのは無理な話です

それを諦めたらあとはどうするのですか?

そういうものだ!と言い聞かせて生きて行くことになる気がします。

此処まで頑張ってきた自分に感謝と、未来でも頑張っているであろう自分にエールを!

そのために今の私を頑張って生きようと私は思います。

私はいい絵を描いているという自信があります、なぜかというとそこに喜びを私自身か見出しているからです。

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