見当違い

やっぱり僕は自分の感覚でしか生きられない人間なのだろうと思った

人の気持ちは正直わからない

わかろうとして知った事すらも当たらない

僕は全く見当違いの男なのである

何もわかっていない

わかっているのは自分についてのことだけ

相手の気持ちは分からなかったが僕はそんな人の後ろ姿を見て絵を描きたいと思った

そういう感情の揺さぶりが、僕の芸術がいま欲しているものなのだ

僕の心も揺れて相手も揺れている

それがなんなのかを僕は描きたい、というか知りたいんだろうね、描くことによって理解したい

全く自分らしくて笑えてくる

昔から僕は変わらないなぁと思った。

昨日画家の友達とも電話で話したのだけど、僕は無いものばかりなのである、少なくとも僕はそう感じてしまった

しかしいくつかしっかりと掴んで離さないものもある

それだけが僕の強みなのだ

他に欲しいものがあるのか?

そう言われると僕には無い

お金だってあればいいけれど、タダでもらうようなことはしたく無い

タダほど怖いものはない

僕は自分の手札で勝負したい

貧乏すら僕の手札のカードなのである

EDもそうだろうな

それで僕は戦って行く、それが生きるという実感を僕に与えてくれる

みんなが僕に対して思う事も見当違いなのだ

見当をつける事がもう間違いなんだと思う

そうすれば世の中ずいぶんフラットに見えてくる、隣の芝生が青いのは自分がその人の隣に住んでいるからである

芝生を青くしようと頑張った人の隣にいるからである

自分はどうなんだい?

隣の青い芝生を見て君はどうするんだい?

ただそれだけなのである

僕は青い芝生はいらない

刈るのがめんどくさい

刈るという努力を苦にしない人が青い芝生を手に入れられる

僕は自分の庭がなんであれ、イーゼルにキャンバスをかけて絵を描くんだ

絵を描くのに花が必要なら花を植えよう

休憩で本が読みたいなら本を読もう

タバコを吸いたいなら吸おう

青い隣の芝生を描こう

そうすれば、自分の庭がまた一層対比によって浮かび上がってくる

それを苦しいと感じる人も多いけれど

それも全く見当違い

生きてきた結果が今の自分なのである

僕は人間は自分に必要な状況に自分で追い込む習性があると思ってる

自分で選んだ事だ

そしてこれからも自分で選んでいく

現状維持でも、芝生を植えても、絵を描いても、タバコを吸ってもいい

隣の芝生に嫌がらせをするような人間は自分を否定する人間のやる事、現実を否定する人間のやる事なんです

つまり、自分では何もできないという見当違いの元、自分を諦めた人間なんです

高い服を着ればオシャレになるなんて思ってる勘違い

芝生を植えれば隣に並べる

金があれば自分だって

彼女がいれば

仕事があれば

時間があれば

頭がよければ

安易だよ

過程をすっ飛ばして、その時それだけを手にできればいいという安易なつまらない人間にはなりたく無い

幻想だ

自分は本当に芝生を植えたいのか?

自分はどうしたい?

自分の問題

自分で決めて、自分で始める

それでやっと、隣人といい付き合いができるでしょう🙋‍♂️

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