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教えることの難しさ

教えてもらうことは山のようにある。
知ることも
覚えることも
経験することも
・・・・・・いっぱい

こんにちは、サラリーマンOBの谷です。

生まれてから


生まれて物心着く前から両親を見て真似をする。
そんな早くから覚えることが始まる。

次に
保育園や幼稚園から集団で学んだり遊んだりして6・3・3教育を受ける。
大学、大学院、研究員と続ける人たちもたくさんいます。

この学生生活の中で教えてもらうことは山の様にあるが,
「教えること」はどれだけあったのか?

教えた経験が少ない!?

私が記憶に残っているのは、クラスで横の席の子に教えた経験があるような、無いような。

教えるっていうレベルではなくお喋りの延長で
「これどういうこと?」
「それはこうちゃうか」

こんな感じですね。

記憶では教えた経験というより、教育する過程でアドバイスをすることが教えていたことになるイメージしか残っていません。

大人になってサラリーマン時代、ある程度のポジションになってから50人くらいの前で「方針説明」や「質疑応答」の場に立っていました。
それは教えるんじゃなくてわかりやすく説明、指導することでした。

こうして振り返ると
教えることは経験として少なく感じる。
教える機会があまりにも少ない。

だから学校生活では「授業」という名の「受け身の教育」に終始していると痛感する。

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教える経験を増やす

教えることを学生時代から経験させておくことは、その後の人生で大きな影響を与えるんじゃないか?

教えた経験があれば、社会に出てもっと多くの人の役に立てるのでは。

そして教えられた人達が、次に教えるようになれば素敵な社会になれそうな気がする。

「教えること」
それが進まないのは自分が深く理解していなければならないからです。
答えを伝えるのではなく、答えを導き出すヒントをいいタイミングで提供しなければ教えてもらった人も成長しない。

だからなおさら、「教えること」を学ぶ機会が少なくなる。

そして、教える立場は上からの立場で考えてしまうから尚更ですよね。

完全じゃなくても教えてあげよう

友達に教えるときに少し知っていれば一緒にお互いヒントを出し合うことでお互いが
「ああ、なるほど」
「そっか」
「それちがうんじゃない?」
「まちがってないか?」
こんな会話で進めばいいんじゃないかなと思います。

こうして教え合いの輪が大きくなれば、

みんなの前で発表もできる。
わかりやすく話す工夫もする。
自分がわからなかったことを友達にも経験としてわかりやすく説明できる。

最終的に、答えがわからなければ先生に聞くんですよ!。


そう
自分で理解したことを友達にわかる様に説明する場面をたくさん作ればどっちも成長です。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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