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この「欲」に呑まれたとしても

「もっともっと」

最近、日記を書いていて
ほぼ毎日のように使っているこの言葉。

この言葉に隠されたいまの自分

「欲がでる」

言うまでもなく、これはサッカーの話。

もっとできるようになりたい。
もっとできる。

向上心というべきなのか?
もうそんなものを超えてしまっていると
思えるほどに欲が出る。

これが他人から見れば、「羨ましい」とか
「すごい」という表現になるのだろう。

でもやみくもに突き進めるほど馬鹿でもない。

この欲が人生を命を未来をも
呑み込んでしまう可能性すらある。

おそらく僕はすでに呑み込まれている。


サッカーに対して本気で向き合っていた
あいつは、今年サッカー選手を引退した。

サッカーが上手かったし、
サッカーへの向き合い方は認めるしかない
ことばかりだった。

引退するにしては、
はやい年齢だとも思ったが、会話のなかに

「ようやく、、、」

その言葉を聞いた時に「やっぱりそうだよな」
って変に納得できたところもあった。


夢を追うこと。
好きなことをすること。
理想を追い求めること。

自分らしくかっこいい生き方なのは認める。
すごく良く見えることも分かってる。

でも現実はこうして生きていても
報われる人、夢が叶う人はひと握り。
きっと知らないところでは、
呑み込まれてしまった人が大勢いる。

それでも真っ直ぐに進めるやつはホンモノだ。

いろんなものが邪魔をする。
実力、環境、年齢、他人、そして自分。

僕はそんなに強くないから
真っ直ぐは進めない。

それでも「もっともっと」
とにかく今はその欲だけが止まらない。

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