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アートってなんだろう(2)

大事件

アートって何だろう(1)で書いた通り、アートとはアート自体の呪縛からの解放にあるのです。かつてアートは権力者や教会のもので、大衆には関係ないものでした。写真というものが発明され大衆化されたのがきっかけで、アートの目的がそれまでの様々な呪縛から解放することに変わって行ったのです。
 
そして、1917年の大事件が発生します。第一次世界大戦の戦果を逃れニューヨークに移住した、フランス人芸術家の「マンセル・デュシャン」がある美術展に出展した「泉」という作品が大騒動となりました。

マンセル・デュシャン作「泉」 1917年

出禁

それはその辺で売られていた男性用小便器にR.MUTTとサインし横倒しにしただけのものでした。「サインがしてあり美術館においてあればそれもアートじゃないの?」という何ともアートを皮肉ったような作品でした。また、大量生産品を使うことで、アートとは手間と時間をかけたものでなくてはならない、という概念も破壊しています。

美術展の主催者は当然激怒し、オープン前に撤去してしまいました。この作品はなんといっても美しくありません。目で楽しめる要素はほとんどありません。デュシャンはアートを「視覚で見るもの」という呪縛からの解放をして、アートは「考えるもの」への大転換を図ったのです。これが現代アートの始まりとされています。今もアートはほとんどこの「泉」の下にぶら下がっている「考えるもの」なのです。言い方を変えれば現代アートは長年、デュシャンに呪縛されたままなのです。

写真はどうなった

絵画に代わって「見た通りに正確に描く」役割を引き継いだ写真ですが、現代アートとしての表現手段にも使われていきます。但し、写真も現代アートである以上、デュシャンの「泉」の下にぶら下がっている「考えるもの」なのです。それがファインアートフォトなのです。

再び大事件

ファインアートフォトは他のアート同様「視覚で見るものでなく考えるもの」であると私自身も定義づけたのですが、果たしてそれでだけなのか?とちょっともやもやしていたころ、私にとっても大きな事件が発生しました。ロシアのウクライナ侵攻です。

第二次世界大戦後、戦争なき世界の実現を目指し世界の人々が70年以上努力してきたことが、踏みにじられ振り出しに戻ったようでした。
現地の悲惨な光景を見るたびに、自分の無力さを感じたのです。そして世界のアーティスト達も作品を通して声を上げ始めたのです。

アートに力はあるか

一方、「アートに力はない」という人もいます。確かに権力者の意思を曲げるほどの力や、大切な家族を失った方の気持ちを癒す力はないかもしれません。

でも戦争によって分断されてしまった人々の心をつなぐことはできるのではないでしょうか。私自身もロシアやウクライナには行けなくなり、友人にも会えなくなってしまいました。

メッセージを送り続けるぞ

私はアートを通して平和へのメッセージを送り続けることで心をつなげ、再び戦争なき世界の実現へ一緒に考えることができると思ったのです。小さな声が集まり大きなうねりになっていくかもしれません。特に写真と言うアートは、「現実」を写しますから、抽象的な絵画より、世界の人々と共感を持ちやすい媒体だと思っています。

私の結論

現代において「アートとは平和の実現ために世界の人々と一緒に考えるための文化や思考の表現手段」ではないか、というのが今の私の結論です。それ以外の答えもあると思います。アートの定義は人それぞれで良いと思いますし、時代とともの変わるものです。私の言うことも今後変わるかもしれません。

アートとは? それは永遠に追求するものではないでしょうか。頑固にアートを固定化する必要もありませんし、そんなことをしていたら呪縛からの解放どころか、自らが頭の硬い爺さんになってしまいます。柔軟に日々考え、アートって何?を探究し続ける。それを行うのがアーティストなんだと思います。

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