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「結」 ー Phase 5 ー Uzumakism

荒れ狂う海を越えた頃には船員の殆どが体の何処かしらをぶつけて負傷していた。
私も波で激しく揺さぶられた所為で酷い船酔いに苦しめられている。航海に向けて船出したあの“港のナギ”は、もう随分遠く振り返っても見える筈もない。
すっかり太陽が登った水平線の向こうに二基の灯台が見えて来た。少し背の高い方には“虎”を象った彫刻が施されている。背の低い方には見事な“龍”が壁面を取り囲む様に描かれている。
ジャックが舵をしっかりと握り直し操舵する。「面舵いっぱい!」と船長が怒号を上げた。「港(port)に向かうなら取り舵(port)だろ?」と船長に英語が通じないのを良い事にジャックが下らないジョークを吐かす。彼に背を向け作業をしていた私の後ろで誰かの大声が響く「Drop him  into the sea!(奴を海へ放り込め!)」
「あの灯台の袂にある港の酒場のキッシュが堪らなく美味いんだ」とジャックに話掛けながら振り向いたその瞬間、彼が海に落ちて行く姿が見えた。船長がジャックの態度に業を煮やして彼を海に叩き落としたのだ。英語が船長に通じないと思っていたのはジャックと私だけらしい。
さらば、ジャック。君が台湾に上手く流れ着く事を祈ってるよ。

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実はここ最近「MUSUBINA KITCHEN」に来訪出来ずにいた。と言うのも、
例の流行り病対策 擬きもど で世間が混乱しているため、店の営業時間や休日が不定期になっている事が影響して、いつお店の前を通ってもタイミングが悪く閉まっている日が続いていたのだ。実際は閉まっているタイミングにやって来る自分が悪いのだが…

普段は夕方に訪問する事が多かったので、まさかこんなに早い時間に開いてるとは知らなかった。不眠不休で酔いどれてフラフラと家に向かう長旅をする身には、お店が荒波の中に輝く港を指し示す灯台のように見えた。

開け放たれている扉を潜って、いつもの調子で声をかける。
「おー、おはようさん。久しぶり。こんな時間から開いとんやねぇ」
すると、店主のさゆりさんが振り向きながら笑顔で挨拶してくれた。
料理の仕込み等もあるので早い時間から開けているのだと彼女が答えてくれる。

妹のきょうこさんに「朝早くに珍しいね」と言われたので「朝まで飲んでたからねー」と答えると驚きながら笑われた。
おもむろにカウンター席に座り「取り敢えずコーヒーとキッシュやな」とお馴染みの注文をする。

十数km歩いた所為でアルコールが体中に広がっている。一部はアセトアルデヒトになって良い感じで脳関門を越えたらしい。猛毒が頭の中で大海原を作り船乗りの思考回路を酔わせている。

二人の姉妹がせかせかとカウンターの中を動き回る姿を頬杖を突きながら暫く眺める。ガールズバーのカウンターで空のグラスに氷を用意する"港のナギ"の姿が脳裏をチラついた。

女性が優雅にキッチンで作業をする後ろ姿を眺めるのは、何故か癒される。
少年本能の琴線を優しく撫でるのだろう。ゆらゆらと揺れる髪が蜜蜂の羽根の様だ。この蜂の巣には、きっと美味しい蜂蜜ハニーが集まるだろう。

ぼーっと二人の姿を眺めながら「あのナギもこう言う風になればいいのに」と"むしょく"の癖に人の働き方に脳内でケチを付けてみた。

二人の様子を窺いながら、作業の邪魔にならない様に合間を見て話しかける。たわいの無い会話をしている内にキッシュを温めていたオーブンが焼き上がりを告げた。コーヒーとキッシュの香りが口より一足先に私の鼻を通り抜ける。

サクッとしたパイ生地が口中で砕ける。具材の野菜と柔らかい生地を一緒に舌と歯のダンスホールで踊らせて味を噛み締めた。この美味いキッシュが口を忙しくしてくれたお陰で「オーブンがオープン」なんて詰まらない冗談を言い放つ機会は無くなった。

コーヒーを一口啜る。しこたま酒を注入されて嫌気が差していた胃袋が諸手を上げて歓喜の声を響かせる。「ああ、沁みる…」と独り言を呟いた。

聴くともなしに、二人の会話が耳に入って来た。
例の可愛い“働き蜂”の話らしい。

「絵を習いたいって言うねん」
「絵描くの好きやもんねぇ」

今時の子供は習い事や学校で忙しくするのが流行りらしい。話の流れを読みながら、良いタイミングを見計らって話しかけてみた。

「あー、この間おったお孫さん、絵描くの好きなんやねぇ。実は俺も絵描くんよ、趣味で」とさらっと少し嘘を混ぜて話す。

「絵を描くのが好き」は嘘ではないが、正直趣味って言える程描いてはいない。そもそも他人に自慢出来るほど自分の絵が上手いとも思っていない。世の中には自分より上手に描く人はいっぱいいるし、しっかりと美術や芸術を学んでいる人の絵と私の絵を比べれば力量に雲泥の差がある。たまに落描きをする、その程度の“ちょっとした趣味みたいなモノ”だ。

「へぇー、どんな絵描くの?」と二人が興味を示してくれた。

そこで携帯に忍ばせていた自分の絵の写真を引っ張り出して二人に見せた。

少し前に伯父の見舞いで鹿児島を訪れる際に携帯に保存していた画像だ。母の旧知のお友達、千賀子さんに見せる機会があるかもと思い、そうしていたのだ。千賀子さんは造花屋さんを営み芸術にも造詣がある人で、数年振りに折角会うのなら一度見せたいなと思っていたからだ。

それ以来、誰かと話す時に会話の流れで「どんな絵を描くの?」と聞かれた時にこれらを見せる事にしている。

私の携帯の小さな画面を覗き込みながら「わぁ!凄い、上手!」と姉妹が褒めてくれた。ガールズバーの姉ちゃん達よりパーフェクトな対応だ。
暗い夜の店の人達に比べて良い反応を示してくれるのは、朝日が登って明るい所為だけではなさそうだ。この二人がとても素直で明るい性格だからに違いない。

「こんなに上手なんやったらお店に飾る絵描いて欲しいわ」とさゆりさんが言うと大きく頷いてきょうこさんが同意する。

私は二つ返事で「おお、エエよ」と答えた。

キッシュとコーヒーをお腹に詰め込むと、二人に見送られて家路へと再び着く。この長田から家に向かう上り坂が一番の難所だ。強烈な上り坂を進みながら色々と考える。
“幸運の女神”がもたらしたのはジャックとの冒険ではなくて“こっち”だったのか、などと思いながら「どうせ描くのなら飾って貰うのに相応しい大きさで描かなきゃなぁ」と自分に言い聞かせた。

また、頭の中を渦巻きと猫がぐるぐると周り始めた。


Phase 6 へ続く ▶︎▶︎▶︎

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MUSUBINA KITCHEN
〒653-0811 兵庫県神戸市長田区大塚町4丁目1−11
https://www.instagram.com/musubina_kitchen/

hidenori.yamauchi
https://www.instagram.com/hidenori.yamauchi/
私の伯父「山内秀德」の遺作を投稿しています。是非ご覧ください。

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