スペインへ移住した。亡霊と共に生きていく。
「ずっと住んでみたい」と思っていた、スペインへ移住した。
ワーキングホリデービザで来ているので、リミットは1年間。2023年9月から2024年9月までの予定だ。
2018年(もう5年前!)にバルセロナとバレンシアで、1ヶ月ずつお試し移住をしていた。そのとき以来のスペイン。今はバルセロナに住んでいる。
独立して、フォトグラファーとライターという役割を持ち、訳あって、しばらくは「スペインに活動拠点を置くこと」を目標としてきた。
だが、いつしか、その目標を口にすることはなくなった。おそらく、「どこでどのように暮らしていくのか」「どうお金を賄っていくのか」という問いがあったとき、目標という形で捉えることに、そもそも興味がなくなってしまったのだと思う。
ただ、自分の中に「スペイン」という存在が、まるで「亡霊」のように漂うようになった。だからこそ、自分はスペインへ来ることになったのかもしれない。そのようなことを、つらつらと書きつけてみる。
スペインという「亡霊」
スペインへ来たのは、まずひとつ、ワーホリビザには「満30歳まで」という条件があり、年齢によるリミットが迫っていたことがあると思う。
スペインに年単位の長期で住めるビザとして、ワーホリビザならば、申請条件は厳しくなく、現地での制限が少ない。だからこそ、ワーホリビザが使える年齢のうちに、スペインに住んでみたかった。
ワーホリを使えば、あらゆる国に滞在できる。それでもスペインを選んだのは、今までの”流れ”があったからかもしれない。
学生時代に「FCバルセロナ」のサッカーに魅了されて、スペインに興味を持ち始めた。フリーランスとして独立する機会があり、憧れのスペインに2ヶ月滞在してみた。そこから「スペインに活動拠点を置くこと」が、本格的な目標となった。
特別何かしたいことがあったわけでも、滞在中に何か縁があったわけでもない。ただ、スペインで生きてみたかった。そうなると、仕事を考えなければならない。そこで「海外移住」という目標があると、仕事の方向性も、ブランディングも定まりやすいという画策もあったのだろう。
そのような心持ちで、日本で模索をしてみたが、どうにも身が入らなかった。色々と理由を作ってみたけれど、自分はスペインで生きてみたいだけだったから。そういった素朴な気持ちを自身で蔑ろにしていたのだと思う。
そして、思うところがあり、Twitterを辞め、ニュースもほとんど読まなくなり、発信活動と距離を置くようになった。
そうすると、「スペインに活動拠点を置くこと」という目標に、囚われることが段々となくなっていった。目標が悪いのではなく、きっと目標にすがっていて、それを失うのが怖かったのだと思う。
いざ、こだわりを手放してみると、意外と何も問題はなくて、たくさんの人に助けられて、穏やかだったり、超大変なこともあったりして、日常の暮らしがそこにはあった。
ただ、スペインを"過去"の存在として、切り離して生きていくことは、どうしてもできなかった。スペインは「亡霊」のように、自身の中に漂っていたからだ。それは苦しくて排除したいものではなかったが、ふとした瞬間に、問いかけてくる、悩ましい存在であった。
だからこそ、年齢のリミットが迫ってきたとき、「やっぱりスペインに一度は住んでみたい」という気持ちが湧き上がってきたのだと思う。
今度は「〜のため」ではなく、住んでみてどう感じるのか確かめてみたい。自分の素朴な気持ちを大事にしたかった。
そういうわけで、「えいっ」と航空券を買い、ビザの申請書を出して、こうしてスペインへ来てしまった。生きることって、想定外だなぁと思う。
ままならない生活のユーモア
スペインを出発する直前まで、日本で多拠点生活(移動生活)をしていた。
急な事情があって止むを得なく始めたのだが、福島や茨城、千葉、埼玉など、関東方面を中心に、月・週単位で住む場所を変えていた。
ただ、それ以前から、暮らしに関して、沖縄や神戸、大阪など、「住みたい場所に住んでみること」に重きを置いてきた。
生まれ育った日本と、海外。全く異なる環境ではあるけど、たとえどこに住もうとも、「どこでどのように暮らしていくのか」は、常に立ち現れてくる問いであって、環境を比較する視点だけではないと思う。
どんなに住処を変えても、貴重な経験をしても、最適な暮らし方なんて、わからない。運やタイミングだってある。急に人数が増えることもある。計画の有無という話ではない。いつだって手探りだ。
でも、だからこそ、どこでどのように暮らそうとも、そういった普遍的な問いを発見して、自身を見つめて、生活に慣れていくことはできる。
どこかに住もうとすると、色々な理由を求められやすいと思う。だけど、自分は「住んでみたかった」という気持ちを大事にするし、ままならない生活というものを、引き受けてみようと思っている。
そして、言葉にまとめにくい理由で、どこかに住む人を否定したくない。意味がないなんて、絶対に言わない。いいじゃん〜って思う。
生活はままならないことばかりだ。だからこそ、想定してそこから外れまいと苛立つのではなく、ままならない生活を引き受けてみて、想定外を笑っていたい。
"はたらくこと"における観察
目標に囚われなくなるのと同時に、フォトグラファーとライターという役割と、自身の中で螺旋を描いている、"はたらくこと"との剥離が生まれるようになった。
「働く」という言葉の漢字をひらいて、「はたらく」と表現した。"働く"というと、生存のための金銭取引、または利他精神を含む社会的意義、といった印象が強い、と自分の場合は思ってしまう。
だけど、”はたらくこと”は、もっと広義的なことで、「生きることと等しい開かれた活動であるのではないか」と思った。よく考えているのは、「人と共に生きていくための"はたらく"ってなんだろう」ということだ。
現状の社会における"はたらくこと"では、経済的・社会的価値という物差しから逃れることはできない。果たしてそうなのだろうか。もっと、広く捉えてみたら、それらの価値のバランスも、ひょっとしたらあまり関わらないことも、できたりするのではないか。
自分はせっかくならば、人やそれ以外の物事と、共に生きていく方法を常に探究していきたい。そこに付随する"はたらくこと"でありたい。
だからこそ、フォトグラファーとライターという役割が悪いのではなく、自身にとっての"はたらくこと"に、写真や書くこと、そしてそれ以外のことがどのように関わっていくのか、観察してみたいと思った。
"はたらくこと"は定義するものではなく、思いがけずしてしまうこと、立ち現れてくることを、見つめる態度なのかもしれない。
今のところ、自分にとっては、観察を記録することが"はたらくこと"の一部であるように思う。その記録する先として、写真だったり、書くことだったり、誰かとの対話だったり、本を読んだりがあるようだ。
亡霊と共に生きる
とりあえず、とにかく頑張った(ほんとに大変だった)部屋探しを経て、とても静かで、オーナーとルームメイトも親切な部屋に、運良く住むことができている。
「家を借りて拠点を持つ」ということ自体が久しぶりで、穏やかな暮らしって、こんなに嬉しいものなのかと、日々感じている。ついでに、みんな大好き"メルカドーナ"が近くにあって、料理が楽しい。
来たばかりではあるけれど、きっと自分は、スペインという「亡霊」と共に生きてみたいのだと思う。
一種の「呪縛」に感じていたこの土地で、生きることをゆっくりと解きほぐしていきたいのだ。
自分にとって、生きることは「螺旋」であるように思う。螺旋を描くように、ぐるぐると旋回していく。目の前に立ち現れてくるものを観察する。そして、振り返ってみると、何かが形作られている。
形作られたものは変わらないものとして固まるわけではなく、解体され、またわからなくなって、螺旋に戻っていく。そのように、"ままならなさ"を引き受けながら、探究をしてみたくなった。
何も見通しを立てていないことへの不安はたくさんある。だけど、「自分はスペインで何をするんだろう」と考えると、確かに楽しみで、たくさんのことを感じてみようと思っている。
どこに住んでも、きっと想定外は起こるし、その度に動揺したりする。ただ、どうしようもなく面白いことも起こる。ゆらりと、でも限られた時間として、模索してみようと思う。
大体暇してると思うので、バルセロナ(またはスペイン)にいる方、気になるなって思った方、インスタなどからお気軽に連絡でもしてくださいな〜!
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