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開くってなんだろうね。 - 秘密結社「喫煙所」(第16通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第16通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

若松英輔さんの本、いいよね。内容もそうだけど、引用する詩のセンスがツボだなって思った。詩人ではないけど、シモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」は気になってて、近々読もうと思ってる。

他者に自分の景色を共有し合うことが対話だとしたら、本をたくさん読んで、場を開いて、人と話しているヒロさんは、もう既に開いているように見えるけど、本人は違うのかな? 

開くってなんだろう? - 秘密結社「喫煙所」(第15通目)

え、どうなんだろう笑
おそらく、タオさんから見えている部分が、俺の中でも開こうとしている領域だから、そう見えるのかもしれないね。今は他の部分は結構閉じている感覚がある。そして、そういう時期なんだろうって思ってる。

対話や読書会のような場を開くのは、開くような状態に自分を引っ張っていくためなんだろうね。"お茶渡し"の話をしたけど、今できる小さい範囲でやってみようって思っているのもある。

本を読んで、問いを立てて、自身で捉え直しをしていくと、それだけでおもしろいし、腑に落ちたとか思ってしまう。だけど、いざ、外界に降り立ったとき、他者と社会はそう簡単にはいかない。そのあまりの差異に、足がすくんで一歩も動けなくなってしまう。だからこそ、変わることを恐れない練習をしているんだと思う。他者と社会の流れに合わせないと生きていけないとかじゃなくて。

開くことで、生の実感が得たいんだろうね。「生」はなんとなく「なま」と読んでおきたいね。「せい」だと強烈な印象があるから、生っぽさというかんじで。

生きることは立体的なことだ。矛盾するもので、掴みどころがなくて、手からするりと抜けていく。どうしようもなく、立体的である。

だからこそ、自分が必死に構築してきたものが、崩れていくことから、立ち現れてくるものがあるんだと思う。

たとえば、さっきも書いたように、本をよく読み、自らに問いを立てることで、自身が変わっていくことを受け入れているように確かに思う。とはいえ、どこかで自分が「持っているもの」に着目して、必死にしがみついてしまったりする。

だけど、開いてみると、それらがいとも簡単に崩れてしまう。最初から存在していないかのように。執着するようなことは何ひとつないのかもしれないと、凝り固まった頭が身体的に揺さぶられるかんじがある。

そうすると、「なるようになるんだよなぁ」と思ったりする。だから成り行きでやるしかない、という諦めの態度ではなくてね。変えられることもあると認めながらも、物事は極めて流動的であると、自らに刻み込むようなかんじだ。

流動的ではあるんだけど、開いて崩れていったものを拾い集めてみると、自分の中に、確かに「直感」として残るような気もしていて。それは誰とも比較できない、立体的なものなんじゃないかな。

だからこそ、開くと閉じるを行ったり来たりしていたい。どちらかではなく、どっちもというのもなんか違くて、塩梅というか、折り合いの捉え直しを続けているような気がするよ。

・・・

書いていて思ったけど、開く場所には凄く慎重ではあると思う。タオさんは「開いているように見える」と言ってくれるけど、それはそこに関わっている人たちが、冷笑的でも、ニヒリズム的でもなく、安心感のある楽しいところであるから。もちろん、自分はその一旦を担っている側面はあると思っているけど。極めてこじんまりした範囲で、ある意味調子に乗ってやっているから、伸び伸びしているように見えるのかも。

開いている自覚というのも、それぞれの塩梅と同じように、全く異なっているんだろうね。それはそうだろって感じだけど、俺からしたらめっちゃ開いているじゃんってことが、タオさんにとったら全然開いていると言えないってこともあるよね。

比較しないでいられる場所は大事だと思う。自分は誰かと比べて、優れているとも思わないし、劣っているとも思わない。ほんとにそう思う。だけど、それを強いる仕組みの中に入ってしまうと、それに争うことにエネルギーを使ってしまう。比較スパイラルまじめんどい。だから、開く場所も見極めている最中なんだろうな。

あとは、「閉じることは良くないこと」だと思っていないなぁ。「14歳の教室」の開くに対する言及はすごく納得感がある。一方で、自分の可能性を小さくしたとしても、危ういと思いながらも、形作られるものもあると思っていて。いや、いくら対話をしないとしても、本読んだり、人と"会話"はするだろうから、勝手に開いちゃうものなんだろうな。自分の足で立つ話のように。

逆説的に言えば、何もしなくとも、自動的に開かれてしまうものだから、ときには、おもいっきり閉めてみようとしたり、半ドアみたいなことをしてみたりする。それで、「こんだけ閉めると空気が篭るな」とか、「ここまで開けると虫入ってくるな」みたいなことがわかってくる。何の話だ。

いやー難しいね。今は週1でお店開けるみたいな状態なのかもしれない。それで様子を見ている。もう少し余裕を持っていけそうなら、週3ぐらいまでは開けちゃおうかみたいな。でも、週4まではいかないぞ、週の半分は閉じたいみたいな。ダメだ、ここまでにしておこう…

ここまで書いたけど、改めて「開く」ってなんだろうね。今回は問い返しをしないけど、ますますなんだろねってなった。柔軟ってことかもしれない。

・・・

全く記憶にない情景を撮っていた

むしろ、忙しない社会では、閉じることの方が難しくなってしまっているのかもしれない。「これでも開いてきたほうなの」とタオさんは言うけど、えめっちゃ開いてると思ってたと同時に、この文通が俺たちと読んでくださった方にとって、閉じる塩梅を探れるところになったらいいなと思った。

【今回の問い】

【前回の問いと返事】

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