見出し画像

美しさってなんだろう? - 秘密結社「喫煙所」(第26通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第26通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

「美しいってなんだろう?」ってタイトルの本を、たまに書店で見かけるけど、毎回気になりつつも、結局まだ読めていない。

美しさを感じるものって、なんなんだろうね。普遍的なものではなく、「美意識」というように、感性が動いたときに感じたりするものなのだろうか。

似たような言葉として、「綺麗さ」がある。ただ、二項対立にしたいわけじゃなく、自分のなかで、「美しさ」と「綺麗さ」を使い分けているときがあったりする。

美しさは、自身の内側が変わっていくように思えたものとの出会いによって、引き出されるような感覚があるんだよね。思いがけず、引っ張り出されて、今までの自身が、大なり小なり変わってしまう。

どこに美しさを感じるのかは、その人自身が抱いている孤独の形なんだと思う。だからこそ、他者との違いに気付いてどきりとするし、「なんなのそれ、おもしろい!」と思えるときもある。

深夜の上野で見た工事現場、恐れを抱いたと綴られたあの文章、そこにすとんと存在しているような人。俺は美しいと思った。

一方で、綺麗さは、誰かとの普遍性を確かめ合うようなもの、行為なのかもしれない。「綺麗だねぇ」とお互いにつぶやくような。見た目や表層、わかりやすさから、思わず誰かに言いたくなるようなものであるような気がしている。それが悪いわけではなく。

好きなものや人はたくさんいるけど、おそらく、どうしようもなく、「あぁ美しいなぁ」と思い、自身が変わってしまうような、腑に落ちるような体験をした対象を、結果的に好きになったりするのだと思った。好みには美しさが付随しているような。

とはいえ、美しさについては、まだまだ探究したい。わからないことだらけだし、掴めたようで、するりとこぼれ落ちていくような感覚がある。

タオさんは、美しさについてどう考えていたりする?

・・・

人工物と自然が混ざっていると、なぜか美しいと感じる。でも、人間が作ったものも、「自然」と呼べるのではないかと思ったりする

生活が大変だと、本の内容が頭に入ってこないときもあるんだけど、積読してた、岡本太郎の本を読んでみたら、するすると文章が頭に入ってきた。書いてある内容もそうだけど、太郎ちゃんの文章は、とにかく生きていて、なんだろう、内容と反比例するように、静かに自分の中に溶け込んでいく感じがあった。エナジードリンク的な読み物としてでもなく、ただ生きていくことを静かに受け止められた気がした。

【前回の問い】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?