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旅する感覚を知ってみたい - 秘密結社「喫煙所」(第34通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第34通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

旅をするっていう感覚に対して、実はあまり腑に落ちていないんだよね。

ここ数年は、住む場所を転々としながら暮らしている。去年は家を借りずに、バイクに身の回りの荷物を全て積んで、宿を移動していた。

ガソリンを入れていたりすると、バイク好きなおじさんに「旅してるねぇいいねぇ」と話し掛けられることもあった。宿に着いてみると、色んな人から「旅人なんですね」「旅が好きなんですね」と言われる。

どの人も、とてもにこやかな表情をしている。「旅なんかしてるのかよ」と目くじらを立てる人は、もちろんいない。「いいなぁ」「自分も昔ね」という話が始まる。旅は緩やかに人を繋ぐのである。

でも、自分は旅をしているんだろうか。そう言ってもいいけど、そう言いたくない気がする。ましてや、旅人という感覚は全くない。

ただ生きていこうとしたら、こうなってしまった。こうするしかなかったとも言える。静かで、落ち着いた暮らしが好きで、そういった転々とする暮らし方の苦しさは、身をもって体験した。とはいえ、振り返ってみると、楽しいこともあり、たくさんの希望が開かれているとも思えた。

生きることは、複数ある選択肢から一つを選んでいく行為ではなく、どこかの選択肢に入り込むと、そこからまた無数の選択肢があると知ることなのかもしれない。

今月読んだ本でとても好きだった本があって、まさに旅というか、「居場所」について一緒に考えていけるような本だった。そこから引用してみる。

最初から故郷があるわけではない。最初から居場所があるわけでもない。翻訳不可能なものの翻訳をし続けようとすることで、人間は故郷や居場所を新たに見いだしていくのだ。

居場所のなさを旅しよう(磯前順一)

たとえば、県を跨いで通勤する会社員は、それを旅だと言うだろうか。東京から新大阪までを担当する新幹線の運転士は、それを旅をだと言うだろうか。押上あたりの自宅から、渋谷区のトイレを掃除にするために、日々高速に乗っている清掃員は、それを旅だと言うだろうか。

おそらく、彼らは旅だと言わないと思う。日常や業務で移動することを、多くの人は旅だと認識しない。つまり、自分にとって移動することは日常であり、だから旅だと言いたくなかったのかもしれない。

家族や地元、働くこと。楽しいことも、恨みも、たくさん抱えてきたけれど、でもだからこそ、描いてきた螺旋があるのだと思う。きっと、どこも居心地の良い居場所だったら、こんなにも移動をしていない。

さっき例に出した清掃員は、最近観た映画「PERFECT DAYS」の主人公である平山だ。彼は同僚に「こんな仕事」と言われながらも、黙々と積み上げてきた習慣に沿って、日々生きている。きっと彼は周りから見たら、旅とは縁の遠い人だと思う。でも、彼は同じように思える日々の中にも、確かに忍び込んでくる喜びを知っていた。彼は仕事としても移動はしているが、それだけではなく、発見や喜びの中で旅をしているようにも思えた。

ややこしいのだけど、自分は転々としているから旅をしていると思われがちで、でもそういった意味の旅をしている感覚ではなく、居場所のなさを旅する、発見の中を旅をする、という意味では旅をしている。という感じかもしれない。ほんとにややこしい。

だからこそ、タオさんに聞いてみたい。
タオさんは、旅ってなんだと思う?

思ったのは、タオさんは居心地が悪い場所でも留まれたりするんじゃないかなということ。それに、どこか知らない土地に行くという意味での旅は少ないかもしれないけど、きっとその場所に留まりながらも、旅をしている感覚ってあるのではないかと思った。平山のように。「PERFECT DAYS」観てなかったら、ごめんなさい。観てください笑

・・・

隙があることは、強さと弱さの境界を溶かしていくのだろうか

ほんとに最近気付いてしまったけど、観光という行為にも、あまり興味がないかもしれない。誰かと行くにしても、一緒に行動して楽しい人は、何をしても楽しかったりするから、混んでいて商売っけがある場所に、わざわざ行きたいと思えない。いや、そのわざわざをすることを人々は楽しんでいるのだろうか…?

【前回の問いと返事】

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