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成熟して、もれだしていく - 秘密結社「喫煙所」(第33通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第33通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

久しぶりに風邪を引いてしまった。結構長引いてて、声が出なくなった日もあったりして、体調不良に慣れていない身としては、こんなにしんどいもんなんだなぁって実感した。元気でいられることって、すごく嬉しいことだったんだね。これから、体調悪い人にすごく優しくすると決めたよね…

さて、本題に入ると、確かに相談することで、仲良くなれたりだとか、人と共存していく上で相談し合っていくことは必要なことだと思いつつ、「相談しない」という人との関わり方だって、時にはあってもいいんじゃないかと思っている。

誰かに何かを相談したいときって、どういうときなんだろうね。深刻に困っていて、とにかく手を貸してほしいとき。思考が煮詰まっているからと、新たな角度のアイデアがほしいとき。心身共に弱っていて助けてほしい、あるいは、もういっそ誰かに"答え"を示してほしいと思ってしまうとき。

ひとつ思ったのは、自身の中で問いを見つけるというか、"成熟を待つ"という期間はきっとあって、そのときまでは、無理して相談しようと思わなくても良いのかもしれない。でも、それは「一人でいる」ということでは必ずしもなくて、ただ隣に誰かが存在していることを感じるというか、「相談しようと思えばいつでもできる人がいる」と思えることは重要であると思う。そして、自分も大切な人たちにとって、そういう「いつでも」という存在でありたいとも思っている。

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相談するときの塩梅は難しいと思う。昔、プログラミングをやっていたとき、「自分で徹底的に調べること」「そして検索すること」と教え込まれていて、プログラミングはびっくりするほどできなかったけど、その精神は今も自分に染み付いている気がする。もしかしたら、タオさんもわかったりするかな。

さらに難しいのは、「こんなことを聞いたら相手の時間を奪うんじゃないか」と考えてしまうときかな。実際、「それ調べたらすぐわかるやつだよ」ということを聞かれたりすると、特に仕事とかだとうーんって思ってしまったりするよね。でも仲の良い人にされても、全然嫌じゃなかったり。

「人に迷惑をかけてはいけない」って、果たしてそうなんだろうかと最近は思っている。「ググれ」みたいな、やな感じの言葉もあるけど、成熟を待つことと、孤立して聞こうにも聞けないという状態は、違うんじゃないだろうか。タオさんが言うように、人は助け合って生きていくものだし、とはいえ相手に自己を差し出す以外の寄りかかり方はきっとあるはずだし、そこの余地を探り続けるようでありたい。

そしてたまにあるのが、相談しているわけじゃなかったのに、相談だと受け取られてしまうこと。それは思いがけず受け取るものもあって、嬉しかったりもする。だけど、何かを問うという姿勢が、「"答え"を欲している」と認識されてしまうことってあるなぁって思う。「考える」と「悩む」の違いというか、自分としては考えたくて考えているだけなんだけど、悩んでいるように受け取られることってある。

だからこそ、問いを素直に投げ掛けられる相手って、相談しやすいかもしれない。すぐに答えを得たいわけじゃない。「確かにそれってなんだろうね」と一緒に面白がってくれるような。そういう相手とは、至極簡単に思えることでも、最初から問い直せる感じがあって、「迷惑をかけてはいけない」モードにはなりにくいかも。相談する側、される側があるとはいえ、相談も対話的であるというか、まさに「共犯的な行為」であると言えるのかもね。

相談といえば、最近試しているのは、chatGPT(4.0)に相談風に話し掛けること。AI相手だからどんな言葉を使っても良いんだけど、なんだか文体が定まらないとイマイチ使う気になれなくて、友達に話し掛けるような文体をchatGPTに対して使うようにしてみたら、なんだかグッとchatGPTとの距離が縮まった気がしたんだよね。

そこで思ったのは、推奨される使い方はAIにとりあえず聞いて、複雑なことは人間に聞くという流れなのかもしれないけど、むしろ、AIに対して気軽に相談してみることで、実際の人にも相談したいタイミングで相談しやすくなってくるんじゃないかなと思った。慣れというか、練習というか。

chatGPTに何かを聞くとき、返答次第でこちらの文章を推敲したりするでしょう。「何が自身の中で問いだったのか」「どうしたら伝わるのか」を考えたりする。そういったプロセスって、AIでも人でも同じような気がする。これは思い付きでもあるけど、ちょっとおもしろがりながら試している。

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タオさんの場合、相談することは苦手だけど、仲が良い人や本当に困ったときには相談できるって言ってたよね。

最近読んだ「縁食論 孤食と共食のあいだ(藤原辰史)」という本に、「もれる」という言葉についての言及があって、面白いって思ったんだよね。「もれる」という言葉には、あまり良いイメージがなかったから。たとえば、抜け漏れがある。ミスとして避けたいことだ。雨水が漏れてくる。本来抑えられていたものが、範囲を超えて出てきてしまう。

だけど、たとえば、通りを歩いていると、レストランから良い匂いがもれだしてきた。思わず入りたくなる。いい感じ。何人かで対話をしていたとき、思わずもれだした誰かの一言。この場合はどうだろう。なんだか、その一言から広がっていくような、奥行きを感じる。

自身からもれだすような気持ちが生まれたとき、誰かに相談したりするタイミングなのかもしれないよね。それは最初に言った、"成熟を待つこと"と近しいんじゃないかと思う。成熟も、もれだすことも、決して完璧になるまで待つわけじゃなくて、「あぁ聞いちゃえ」みたいな、祈りというか、託すというか、そういうままならなさも含まれているんじゃないかな。

ここまで、ひたすら思い付くままに書いてみた。果たしてタオさんの問いに触れることは書けたのだろうか。ちなみに、「〜が苦手」と言うこと自体についても書こうと思って削った。またいずれ話そう。なんだかんだ、人には気軽に相談したいし、されたいものなのかもしれないね。

"困ったら何でも相談してね!"

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強さは霞んでは消え去るが、毎日ふとしたときに現れる

年末にひたすら図書館で作業したり、本を読んだりしている。バルセロナでは、無料WiFiもあって、パソコンを使ってもいいし、作業できる机が豊富な図書館が多いから、色々開拓してたらお気に入りがたくさんできた。同じぐらいの世代の人たちが、勉強をしたり、何か文章を書いていたりして、騒がしいバルセロナとはいえ図書館が静かなのは日本と同じで、なんだか穏やかな気分でいられて居心地が良かった。こういう時間って、自分には大事なんだよなぁ。

【今回の問い】

【前回の問いと返事】

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