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弱さを抱えたままの強さとは - 秘密結社「喫煙所」(第30通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第30通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

以前、「弱さ」という言葉が腑に落ちないと言ったけど、この言葉に対して、今一度捉え直したいと思っている。どうぞ力を貸してください笑

最近とある人と話したときに、「自分は男社会を降りた」と言った。でも、その自分で発した言葉に、後から疑問が湧いてきた。果たしてそうなのかと。自分は「男性性」のような価値観を、まだまだたくさん背負っているのかもしれないと思い直したんだよね。

たとえば、"男らしさ"のようなハッキリした価値観ではないけれど、それで言うと"強さ"ともまた違っていて、なんというか、「〜してはいけない」としきりに心の中で唱えることが多い気がする。

何かをしないでおく。したくない。そういった素直な気持ちは、自身で尊重してきた。ただ、それが「してはいけない」に変わったとき、素直さを分厚い雲が覆い隠してしまう。「自分が思っていることだから」という気分で、自身を追い込むような捉え方に自然と流れ着く。

その「してはいけない」ことをしてしまうことで、誰かをまわりまわって傷付ける。呪いを受け継いでしまう。誰かに攻撃されるような隙になるかもしれない。そういうためらいというか、問いは大事であるとも思う。だけども、そうやっていつの間にか自身を強く抑圧してしまうと、その圧力は簡単に他者に向くような気がした。

自分は「弱い」ことで、なにを恐れているんだろうか。だからこそ、「弱さ」という言葉に、もう一度出会い直したいと思った。宮地尚子さんという、トラウマ研究をされている方の文章がすごく好きで、「傷を愛せるか」という本を読んでみたら、まさに考えてみたい言葉があった。

「弱さを抱えたままの強さ」を男性が提唱し、保ちつづけるのは、女性よりもはるかにむずかしい。自分の気持ちや感情を聞いてもらうことは、「弱音を吐く」ことであり、相手に「弱みを握られる」危険に自分をさらけ出すことでもあり、競争においては不利に働くからだ。「仕事モード」で課題をこなしていくには、感情にふれないほうが効率的でもある。

傷を愛せるか 増補新版

この本で語らえる「ヴァルネラビリティ」というのは、付け入る隙があるような防御力に乏しい状態で、つまりは、攻撃を受けやすいということ。だからこそ、たくさんの「鎧」を纏って、攻撃を受けないように身構えてしまうのだろうね。

話を最初に戻すと、「弱さ」という言葉が腑に落ちなかったのは、なぜなんだろう。おそらく、「弱いままでいい」というような言葉を聞くと、「強い弱い」といった価値基準を捉え直すことなく受け入れ、弱さを使って"勝とうとする"ように思えたからだと思う。なんというか、勝負の土台に乗ったまま、逆転を狙っているだけで、根本的なところに辿り着いていないように思えてしまったからだった。

ただ、自分が抱える傷や怖さを「弱さ」といった基準で捉えたくないと思っていても、「鎧」をたくさん纏って、防御を固めたくなる自分がいる。「弱さなんて基準ありませんよ」と知らん顔をしても、それは見て見ぬふりで、しっかりと防御して、反撃しようとしている。だとしたら、もはや「弱さ」の基準というより、「弱さを抱えたままの強さ」とはどういうことなのか、そこをじっくりと捉え直してみたいと思った。

すぐに「これだ」と言えるものではないのだと思う。だからこそ、自分の中で終わらせずに、聞いてみようと思った。めちゃくちゃ大きい問いに思えてしまうけど、きっと身近なところから考えていける話だとも思う。

タオさん、「弱さを抱えたままの強さ」ってなんだと思いますか?

・・・

海に浮かぶ鳥を見ると、脱力するような。ほんとに彼らは何を考えているんだろう

難しい問いを投げてしまった。でも、対話ができるような居場所って、「弱さを抱えたままの強さ」のヒントがあるような気がしている。宮地さんの本、まだまだ読みたい(電子化を強く希望笑)。

【前回の問いと返事】

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