見出し画像

花が枯れるまでは - 秘密結社「喫煙所」(第7通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第7通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

あけましておめでとう。今年もよろしく〜
お互いに今年はどんな年になるんだろうね。振り返ってみると、毎年のように、年始と年末では全く違う人間になっていて驚く。大変なことも多いけど、きっとまた変化していくと思っていると、わりと気楽な気持ちになれるなって思った。

逆にヒロさんはどういう基準で人に共有したり、伝えようってなる?

嫌な自分を見つめてみる - 秘密結社「喫煙所」(第6通)

新たな問いをありがとう笑
イレギュラーなパターンもいいね。今年は決めたことをときには手放すことを覚えようと思っていたから、ちょうど良かった。

最近、「生花」を部屋に飾るようになったんだよね。花って、一見何も変わらないように見えるけど、葉っぱがみずみずしかったり、水の交換を怠ると元気がなさそうだったり、毎日何かしらの変化がある。「やっぱり生き物なんだなぁ」と実感している。

生花は大体1~2週間の命なんだって。ある日、起きたら花が小さくしぼんでいて、そこから段々と枯れていく。どんなに世話をしても避けられない。

枯れてしまうと異臭がすることもあるから、名残惜しみつつ、片付けをすることになる。やむを得ない。いやおうなし。そういった自然物の"どうしようもない"という現象に触れると、なんだか「生きること」の探究が進んでいく感覚がある。そんな気持ちになることを、花を通して知った。

・・・

どんなときに共有するのかだったよね。俺は「いやおうなし」だと思ったとき、誰かに共有してしまうのだと思う。花が枯れてしまうように、やむを得ないようなとき。思わずというか、やっちゃったみたいな。

共有したいことはたくさんある。だけど、その共有するライン、相手、伝え方(表現)の折り合いは難しいと思ってる。自分と相手は違うから、安易に共感を求めるのは腑に落ちなくて。自分にしかわからない積み重ねもあるから、それを込みでわかってもらえたらいいだろうけど難しい。それでもどこかで「もしかしたら」と共有してしまうときがある。だから「いやおうなし」だ。

なんだけど、心を開いていない人に根掘り葉掘り自分のことを聞かれるのは、すごく苦手なんだよね。たまに初対面で仕事とかやっていることをガンガン聞いてくる人がいたりするけど、自分を評価されたり、消費されていたりする感覚になるから、すぐに心を閉ざしてしまう。だから質問に答えずに質問返しとかしてる。誰でも共有したいわけではないみたい。

正直、日常的にモヤモヤしたり、気になってしまったりすることがいっぱいある。"普通"とか"評価"とか"成長"とか。最近は社会に対する違和感や人との"摩擦"でモヤモヤした話を、ただの愚痴として話してしまったことがあって、流石に後悔した。「愚痴を言うならおもしろく」という制限を課しているから。せめて一工夫するってことね。

だけど、一方で、もう愚痴だとしても誰かに聞いてもらわないと気が済まないってときはある。負担をかけて申し訳ないけど、そういうときは頼ったり、気がついたら通話ボタンを押していたりする友達がいる。ほんとにありがたいなって思う。

・・・

共有したくなったら、してしまっていいんじゃないかと思う。自分の好きや素直さを認めることに近い。それで後悔したり、迷惑掛けたり、嫌われたりしたとしても、そこを必死に止めようとするのは、なんだか人間味がないじゃないと思う。それにきっと誰しも人は知らずに誰かを支えているし、支えられている。

俺は"人間くさい"人が好きだなと最近気付いた。「思わず漏れてしまった」ような、人の「やむおえない気持ち」を知ってしまうことがとにかくおもしろい。それらは社会的には「変だ」と思われたとしても、その人が思っていることなんだから、大事にしてほしいとも思う。みんな社会でやっていくために色んなベールをまとったり、上手に演じたりしているけど、ほんとはやりたくないことばかりだと思うから。それが出てしまったとき、罪悪感や恥、照れなどの感情が含まれており、"人間くさくて良い"と思うんだよね。

あとさ、とあるポッドキャストで「この人ならわかってくれるって人にだけ話した」と言っていて、なんか妙に納得したんだよね。

多分、これって「わかりあえなさ」を考えたことない人には当然だと思うんだろうけど、孤独とか自他の境界線を考えたことがあると、自分と相手は違うから、わかりあえることに期待しないことが、いかに難しいか痛感すると思うんだよね。

だけどさ、自分という人間は1人だけであり、相手とわかりあえることなんてないと思いつつ、それをお互いに身に染みていながらも、それでも「わかってあげたい」と歩み寄れる存在はいるのだと思うんだよね。必ずどこかに。そう思うと、共有って尊いし、摩擦と同じで、何度でもやってみようかなと思えるというか。

・・・

あとは、共有する手段は表現でもあると捉えてる。表現は話すこと以外にも、書いたり、形にしたりね。話すのだって、日本語なのか、英語なのかで随分違っていると思ってる。

だから最近は、たくさん共有したい気持ちを表現として熟成させたいと思っている。今までは「花が枯れるように」共有してしまっていたけど、せめて「花が枯れるまでは」誰かに"安易には"共有せず、おもしろくしたり、どんな表現にするのか悩んだりね。そうすることで、歩み寄ることはできるのかもしれないと思っている。

・・・

買ったときにそれぞれの名前を教えてもらったけど、家に帰ったら全部忘れてた

なんか書きたいことが散らかっているような気がする。"人間くささ"についてはもっと探求してみたいから、また思いついたら書いてみるよ。やっぱり、罪悪感を抱えた人やそういう発言っておもしろいんだよなぁ。

【今回の問い】

【今回の返事(と追加の問い)】

【前回の問いと返事】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?