村上春キャベツ

要らないものが要らないとわかると、いろんなことがうまくいきます。

村上春キャベツ

要らないものが要らないとわかると、いろんなことがうまくいきます。

最近の記事

人生は蒙古斑

またか、と脱力する事件が起きた 妻のことだ 長野県のとある高原をドライブしていた時のこと、妻とAJICOの歌詞について話していた ところで、と妻は話題を変え、シャーベッツの新曲の話になった 妻は「baby car」の優しいメロディが好きだと言う 特に「蒙古斑」のところがいいと言う 蒙古斑? 妻が何と何を聞き間違えたのかはすぐにわかった サビの部分でベンジーは「人生はもう後半」と歌っている ちなみに妻はかつて、「なんでベンジーは送金するの?」と聞いてきた 「知らない道」の「

    • ベンジーまで20メートル

      AJICOのライブを茅野で見た 東京に住んでいるので、本来なら東京で観る 茅野まで行くことになったのは、去年の7月、UAとsherbetsの対バンを見た際、AJICOではないUAをいいと思えなかったことが発端だ 才能が迷走していると感じたのだ しかし、今回のツアーが新しいアルバムを出してのツアーだと知り、新曲を聴いてみたら、AJICOがとてつもない境地に達していることがわかった どうしても観たくなって調べたら、チケットが残ってたのは、茅野と熊本だけだった 茅野にはいい温泉が

      • 金を必要としない幸せ

        朝焼けを見た 色は、赤と黒しかない 地表から湧き出る燃える赤をバックに黒いシルエットとなった銀杏の枝が、漆黒の空を掴むかのように伸びている 他のものは、まだ暗くて何も見えない 銀杏の木までは約50メートル だが、澄み切った暗い空の下に広がる赤と黒のコントラストが、アフリカの大地のような広大さを感じさせる 木の向こうにキリンのシルエットがあっても、別に驚かない 静かで、どこまでも透明だ 普段は朝、カーテンを開けた時、夜が明けたことを確かめる程度に見る銀杏だが、今日はバルコニ

        • どこにも要らない

          東京の明治通りという、車の通行量が極めて多い道路脇をしばらく歩いた 千駄ヶ谷の交差点に、角が曲面になっている大きなマンションがあった 最近建てられたもので、最低一億円はするはずだ この辺に住むとなると、このマンションになるのだろうと思って眺めていたら、致命的なことに気づいた 車の音がうるさくて窓が開けられない 一億円出して、窓も開けられない 嘘みたいな話だが、都心のマンションはどこも同じだろう だがなぜか、それを欲しがる人が大勢いる 通勤に便利なのかもしれないが、その他に一

        人生は蒙古斑

          野心が芽生える瞬間

          会社の新しい部署の業務は複雑だ 教える側の年下の上司の説明はアリバイ的で、一度でも言葉で触れたら、それは説明したことにされる 前の部署の業務も複雑だったが、前の部署では、わからないことは何でも聞ける関係、というのを大切にしていた 複雑さを前にして真逆の態度を取られているわけだ だからと言って、態度を変えさせようとしても無駄である 教える側の人間は、自分では頭がいいと思っているらしい 自分で自分のことを頭がいいと思っている人間は態度を変えない そんな人間に自分の非を認めさせ

          野心が芽生える瞬間

          錯覚に対する解毒剤

          錯覚とは、感覚器に異常がないのに、実際とは異なる知覚を得てしまう現象である 現代のビジネスのほとんどは、錯覚によって成立している 保険は統計という錯覚によって生み出された不安を煽り、ポルシェは日常生活では決して到達することができない限界性能という錯覚によって生み出した憧れをニンジンとしてぶら下げる 実在する唯一の価値は食べものだけだが、その食べものでさえ、ご都合主義の論文が編み出す錯覚の栄養価や、インスタグラムでの見栄えなどで、本来の価値を覆い隠される 本来なら、身体に害の

          錯覚に対する解毒剤

          努力か消費か労働か?

          やっていることには3種類しかない 努力か消費か労働か その三つが区別できなければ、消費者か労働者にしかなれない 決して、創造者にはなれない 大抵の人間は、消費と努力の区別がついていない 学校に行って何かを学んでいるとして、それを努力と捉えている しかし、それは消費でしかない 金を払って教育というサービスを消費しているだけだ あらかじめ用意された教材を、その解釈通りに読み聞かせしてもらっているだけだ それで何かを創り出すことはできない できるのは、そのコピーだけ そこで教えら

          努力か消費か労働か?

          使用人

          諦めるか、踏みとどまるか。人生はその二択 0から1を創り出す。それが使命 わくわく、本気でいこう 一緒なら、世界は、変えられる 向き合うから、強くなる これらは会社の求人コピー この会社に入ればこんなふうになれる、と書いてある 0から1を創り出す人間になれるかもしれないし、わくわくする本気の毎日を送れるかもしれないし、世界を変えられるかもしれない それは自己実現と呼ばれ、自己実現するために教育があり、受験がある そう教えられ、そう思っていた だが、昨日、税務署か主催

          誰が悪いのか?

          「ザ・ノンフィクション」の婚活漂流記2024を見た 「ザ・ノンフィクション」には様々なタイプの「上手くいかない人」が出てくる ノンフィクションと言っても、上手くいかない人の上手くいかなさ加減を追うだけだ たまに、他人に理解されない一つのことをやり続ける人を取り上げることもあるが、一人で食事をするシーンを後ろから撮影し、「孤独」を演出する 要するにフジテレビの番組だけあって、描き方は軽薄だ フジテレビはそれを何十年にもわたりドキュメンタリーと称している 「人生クライマー」「ヤジ

          誰が悪いのか?

          大衆の生活

          普段は午後7時前に家に帰り風呂に直行 午後8時半には眠り、朝3時に起きる 夜、風呂に入ってすぐに眠るために、夕食は午後4時ごろ会社でパソコンの画面を見ながら妻が作ってくれた味噌汁を飲むだけ そうすることで胃が軽くなり、夜、すぐに眠れる 平日はそんな仙人のような生活を送っているが今日は土曜日、自分の好きに時間を使える 朝は午前2時半に目が覚めた この先の時間を自分の好きにできると思うとテンションは爆上がり 朝6時まで執筆し、6時からはランニング そこまでは普段と同じだが今日は

          駱駝の時間

          精神は駱駝から獅子になり最後は幼子にならねばならない これはニューチェが唱える精神の三段の変化である この話には「創造しようとするならば」という前提がある ありものだけで満足できるなら、こんな話は無視すればいい 何かを創り出そうとしているのなら、この話の意味を何度でも確認すべきだ 最近、私が身をもって感じるのは、駱駝になれなければ獅子にはなれず、獅子になれなければ幼子になれない、ということだ 子供のような何にもとらわれない自由な発想、自分のことしか考えない自由な意志があれ

          読むに値しない本

          同窓会に行った時、毎年、年齢の数だけ本を読むことに決めている、という奴に会った そいつは自分のモチベーションのために読んだ本の感想をFacebookにあげていて、他の同窓生がそれを読んでいた そいつは地元だったので、他の同窓生と頻繁に会っているようで、読んだ本が会話のネタとなっている とてもいい循環ができていると思ったので、自分でも歳の数だけ本を読もうと思った すでに今年に入って一冊読んでいたので、2冊目を読み出した しかし、この本がつまらない 史上最年少で芥川賞をとった

          読むに値しない本

          ちょっと、お嬢さん

          人事異動で新しい部署に行った 新しいといっても、私にとって新しいというだけで、そこは55歳から65歳までのジジイとババアがひしめく、最後に会社にご奉公する部署だ 新人が配属されたら、自分はこんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃない、と人事に駆け込むだろうが、55歳以上となればこの先転職するのは大変だとわかっているので、渋々働くだろうという目論見の人事である そして私は56歳 オムロンの体脂肪計での肉体年齢は41歳 だがそれはマイナス15歳が最高なので、体脂肪率8%だか

          ちょっと、お嬢さん

          風呂場ダイハード2

          ダイハードとはクリスマスイブに厄介ごとに巻き込まれる刑事を描いた映画であるが、私の妻は去年の大晦日、実家の風呂場のドアノブがとれ、風呂場に閉じ込めらるという結構、大変な目に遭った いわゆる「風呂場ダイハード事件」である (2024年1月1日アップ 風呂場ダイハードを参照) 映画「ダイハード」は年に1度のクリスマスイブの話だから「風呂場ダイハード2」があるとすれば次の大晦日まで待たねばならないと思っていた しかしあれから1日、風呂場ダイハード2は元旦に起きていた 妻はその日、

          風呂場ダイハード2

          宇宙少年

          子供の頃、私は宇宙少年だった 星を見るのが好きで、親に無理を言って天体望遠鏡を買ってもらった 私が小学生だったのは1970年代で、その頃はいわゆるSFブーム 私は未来に関する本を読むのが好きで、ある日、隣町の海沿いの図書館へ行った その図書館は、中学校のそばにあり、近所の図書館より立派だった 私が気に入っていたのは雑誌のコーナーが充実していたことだ まだビデオデッキというものが存在しない時代、映画について知り、映画に浸りたいと思うなら「スクリーン」という映画雑誌を見るしかな

          あいつは誰なんだ?2

          地元から東京に戻り、まず最初に高校の卒業アルバムを開いた 同窓会で再会した名前がわからなかった人達が誰なのか確かめるためだ スマホに昔の地図や昔の街の写真を仕込み、隣の女子を釘付けにしていていた同窓会手練れの名はすぐに判明した そういえばそんな感じの名前を名乗っていたという記憶があったので、アルバムで調べると確かにあいつだった 思った通り、3年生の時、同じクラスではなかった 多分、一度も同じクラスになったことはない 一方で、とても人相のいい禿げの捜索は難航した 同窓会に出

          あいつは誰なんだ?2