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どこにも要らない

東京の明治通りという、車の通行量が極めて多い道路脇をしばらく歩いた
千駄ヶ谷の交差点に、角が曲面になっている大きなマンションがあった
最近建てられたもので、最低一億円はするはずだ
この辺に住むとなると、このマンションになるのだろうと思って眺めていたら、致命的なことに気づいた
車の音がうるさくて窓が開けられない

一億円出して、窓も開けられない
嘘みたいな話だが、都心のマンションはどこも同じだろう
だがなぜか、それを欲しがる人が大勢いる
通勤に便利なのかもしれないが、その他に一体、何があるのだろう?

そのマンションの近くには素敵なカフェがあった
朝8時から開いていて、オーガニックのパンケーキやカレーが食べられる
自分がそのマンションに住むとなったら必ず行く
しかし、オープンは朝8時
それまでは潜水艦の乗組員のように、家の中でじっと息を潜めるしかない
外に出て散歩しようという気分には決してなれない車の通行量なのだ

そうなると、あとはクルマしかない
フェラーリでも買うとする
六本木あたりでは、よくフェラーリを見かける
だが、あのフェラーリはどこから来て、どこへ行くのだろう?
もし自分がその千駄ヶ谷のマンションに住んで、フェラーリを持っていたら、どこへ行くだろう?
明治通りを魚群のように走っていく大量のクルマを見ながら考えたが、多分、どこにも停めずに、そのままマンションに戻ってくるだろうという結論に達した
それしかできる気がしないのだ
どこかに停めようと思うと、心配で仕方ない

停めて心配ない場所として思いつくのは、ホテルオークラかリッツカールトンぐらいだ
だが、ミッドタウンのものは買い尽くした
オークラに行ったら中華料理を食べて紹興酒を飲むから車には乗れない
やはり、フェラーリに乗っても、どこにも降りずにまたマンションに戻ってくるしかない

そんな生活は嫌だな、と思って歩いていたら原宿に着いた
そこから新国立美術館に行くために地下鉄に乗った
東京は便利な街である
乃木坂で降りると、美術館は駅と直結していた

マティス展を見るつもりだったが、持っていたチケットは平日限定のものだったので、美術館の中にある図書館へ行った
そこにはマティスについての本が多数あった
展示だけではわからない貴重なことが書かれていていて、貪り読んだ
気づくと2時間ほど経っていて、家に帰ることにした

帰り道、地元で焼肉を食べた
肉は特上で、マッコリは美味かった
申し分のない1日である
だが、この1日の中に、ポルシェもフェラーリも必要なかった
常日頃、ポルシェとかフェラーリとか欲しいと思っているが、今日も、どこにもそれは要らなかった
逆に、一体、どんな生活をすれば、ポルシェやフェラーリが必要になるのか、改めて考えた

東京は公共交通機関が発達しているので、公共交通機関を使ってどこへでも行ける
自分の車で移動しようとすると、駐車場代だけで電車賃を超えるので割に合わない
時間が短縮できるのかといえば、至る所で渋滞があり、そもそも計画が立てられない
車に乗って得することもなければ、快適なこともない

そうなると地方で乗るしかない
だが、人がいない田舎道をフェラーリで走りたいわけではない
猫に小判、豚に真珠というが、羨望の眼差しがあってこそのフェラーリだ
走りたいならサーキットでカートに乗ればいい

ある程度、人がいて、道路が空いている、となるとリゾート地だ
軽井沢あたりに居を構えればいいのだろうか?
で、軽井沢で何をする?
絵でも描くのか?
創作に行き詰まったら気分転換にフェラーリに乗る
悪くない
でも、絵は描かない

ならば、デッサンから勉強するのか?
フェラーリに乗るために、56歳からデッサンの練習をする
あまりにも遠大な計画だが、それくらいしかフェラーリを有効活用する生活を思いつかない
だが、フェラーリを買えるくらいの芸術家というのは創作に没頭し、クルマに乗りたいとなど思わないだろう
それくらいでないと、世に通用するモノはつくれない
マティスは大病を患いながらも描き続けたことで、あの境地に至った

おそらく、フェラーリに値する人間がフェラーリに乗っていることは滅多にないのだ
だが、フェラーリはフェラーリとして通り過ぎる
だから、そこに特別な人生があるかのように思わせる
だが冷静に考えてみると、都心を走っているフェラーリは、どこにも停まることなく、マンションへ戻ってくる
それは特別というより特殊な人生
金はあるが、金に絡め取られた気の毒な人生だ

絵があるからこそ、人生は生きるに足る
マティスは大病を患い、絵をやめようかと思った時、友人にそう諭されたという
そして、切り絵という新たな境地を切り拓いた

また、35歳から急に売れ出したマティスは40代に入って、絵を教えることを始め、100人ほどの生徒を獲得した
35歳まで極貧生活を送っていたマティスにとってそれは、初めて得た安定収入だったに違いない
だが、自分の創作に集中したい、と5年ほどで教えるのをやめた
マティスの進化が45歳で止まっていたら、21世紀の今日、マティスを話題にする人など皆無だったろう

結局、フェラーリに値する生活というのは幻想で、それを追い求めることは間違いなのだろうか?
でもポルシェなら、と思う

でもポルシェなら、立体駐車場にも入る
運転もしやすいし、壊れることはほとんどない
ポルシェなら都心を走っていても、どこかに停められる
だがポルシェだと、ポルシェがある生活、であって、ポルシェに値する生活、ではない
乗るために自分を変容させようという魔力はない
金の使い道に困ったら買うクルマであって、金に付いてくるクルマなのだ

焼肉を食べた後、家まで自転車で帰った
家までは遊歩道で繋がっている
風が強く、その分、空が綺麗だった

今日もポルシェは要らないな


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