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ベンジーまで20メートル

AJICOのライブを茅野で見た
東京に住んでいるので、本来なら東京で観る
茅野まで行くことになったのは、去年の7月、UAとsherbetsの対バンを見た際、AJICOではないUAをいいと思えなかったことが発端だ
才能が迷走していると感じたのだ

しかし、今回のツアーが新しいアルバムを出してのツアーだと知り、新曲を聴いてみたら、AJICOがとてつもない境地に達していることがわかった
どうしても観たくなって調べたら、チケットが残ってたのは、茅野と熊本だけだった
茅野にはいい温泉があり、土地勘もある
どんなホールで演るのかも知っていた

「ラブの原型」は歌詞を見ずに聴くと、何を言っているのかわからない
多分、意図的にそういう歌い方をしている
サウンドとして斬新なので、言葉を意味として明瞭に立たせるより、音とリズムとして聴かせる方を選んだのだと思う
だが、歌詞を見ながら聴くと、UAのとてつもない才能が立ち現れる
UAは、中村達也のドラムのような常人に思い付かないリズムで言葉を刻んでいた

「ラヴの元型」には、歌の歌詞に出てくるような言葉はない
「歌詞に出てくるような言葉」とは、メロディやリズムにすんなりハマり、歌として通り過ぎて行っても理解できる程度の言葉である
そうなると、いわゆる常套句というものに落ち着くことになる
今の世の中にあるほとんどの曲は、いつかどこかで誰かが歌にした言葉で、誰かが歌ったことを歌っている
だからそれはAIでも書け、AIが最も得意とする分野である

だがUAの歌詞に常套句はない
AIに対抗するかのように、本来なら歌詞する事を思いつかないような言葉が並ぶ
内容自体も、AIに対する反撃の狼煙のような歌だ
そして最も肝心なのは、UAはそれらの言葉を、決してAIでは作り出すことができないリズムで歌っているのことだ

それはラップとも違う歌い方で、UA以外では聴いたことがない
「イエスマンな脳社会を」というフレーズの刻み方は、UAを天才ということにしないと、凡人の平常心は保てない
少なくとも日本語をこのようなリズムで刻み、かつメロディという旋律を追うことができるのはUAだけだ

かつてブランキーが世に出た時、最も革命的とされたのは、ロックには決して載せることができないと思われていた日本語を、完全にロックの上に載せたことだった
それゆえブランキーは日本で最初のロックバンドと言われ、ブランキーのノリが他のバンドと違うのはそのためだ
つまりブランキー以前は全て偽物で、ブランキーによって、それまで日本でロックとされていたものはロックのマネだとバレてしまった
自分自身、ブランキーを聞いて以来、日本のロックと言われるものは一切、聴かなくなった
聴いていられなくなったのだ

今回のAJICOは、ブランキーの上を行ってしまった
ブランキーは8ビートに日本語を載せたが、AJICOは16ビートに日本語を載せた
だが、実際には、UAは32ビートまで刻むことができる
これは究極と言っていい

ライブは、その「ラヴの元型」で始まり、「美しこと」で終わった
「ぺピン」は惜しげもなく早々に演奏され、今までAJICOでは演奏されたことがないブランキーの曲も披露された
最初から全力で、非の打ち所がない完璧なパフォーマンスだった
ライブがあまりにも素晴らしかったゆえに、私はライブが終わって考え込んだ
それは、自分についてのことだ

ライブは20時前に終わり、新宿行きの最終特急は2039発だった
出発までの間、駅と直結した茅野市民会館のロビーのソファーに座り、暗くなった庭を見ていた

以前は、ベンジーのライブを見ている時、この曲を使って映画にするならどんな映画になるのか、その筋を考えた
ベンジーの曲を使うことを前提に自分が原作を書いて、それを映画にする
自分がやりたいのはそれだけで、それをさせれくれるかもしれない会社に入った
だが56歳になっても、自分はまだ、その原作は書いていない
会社では退職金の計算をさせられることになった
このままだと、映画を作る可能性はない

今回のAJICOは素晴らしかった
素晴らしいと感じたこの気持ちを形にしたい、と強く思ったが、映画という形はもはやない
ならば、自分とは何なのか?

ベンジーの曲は特別だ
その特別なものを自分の中に入れてきた自分は、特別なものになれると思ってきた
だが、特別なものになれる、という思いを支えていたのは、結局のところ、会社だった
会社の部署が変わるだけで自分が特別でなくなるのなら、そもそも特別な自分などなかったのだ

そんなことを思わせたのは、今回のライブでは、新曲も素晴らしかったが、初期の曲も素晴らしかったからだ
初期の曲には25年分の磨きがかかっていたのだ
ベンジーが25年前に、これ以上はないと思われる曲を作り、それを超える曲を25年かけて作ろうとしてきたことを、その時、とても羨ましく感じた

それは、憧れではなく、羨ましい、という気持ちだった
自分もそんな風になりたかった、ということに気づいた

そんな風に、というのは、ミュージシャンになりたい、ということではない
自分の作ったものを大切に育て上げていく、ということだ

何もなかったわけではなく、育てようとしなかったわけでもない
今になっても、何もできていないことを、才能という概念で片付けはしない
自分は今だって、やり方を探している
できるかどうかはやり方の問題であって、どんな気持ちで、どんな風にやるのかにかかっている
何も諦めてはいない

だが、昔の曲をさらに磨き込んで披露するベンジーをとても羨ましく感じた
ベンジーに比べると自分は、過去の時間を無駄に使ってしまっていたのだ、と気づいた

そんなことを思っていると、出発の時間が近づいていた
2039発のあずさは、新宿へ行く最終列車なので、もしかしたら、同じ電車にメンバーが乗るかもしれない
グリーン車を取っていたので、同じ車両にいたら、何と話しかけようか、などと考えながらホームを歩いた
そんな時、「ありがとうございました」と叫ぶ超えるがした  
その声は集団の声で、その集団は線路脇にいて、自分が歩いているホームの50メートルほど先にいる人たちに向けられていた

すると今度は「椎野さん、ありがとうございました」という声が飛んだ
椎野さんといえばAJICOのドラマーだ
まさか、と思い50メートル先を見ると、ハットを被った椎野さんらしき人が歩いていた

すると次は「UAさん、ありがとうございました」という声が飛び、それに黄色のサテンのパンツを履いた女性が手を振って答えた
ステージ上のUAしか見たことはないが、それに対して「ありがとう」と答えた声は確かにUAだった

ということは、そこにベンジーがいるかもしれない!
TOKIEさんがいるかもしれない!
私は目を凝らしながら、前を歩く人たちとの距離を詰めた

どうしよう?
真っ先に思ったのは、ベンジーではなく、TOKIEさんのことだった
ステージ上のTOKIEさんはめちゃくちゃカッコよく、美しい
AJICOのライブ中、8割の時間は、ボーカルのUAでもなく、ベンジーでもなく、TOKIEさんを見ている
だが、それは遠くから見ているからかもしれない
近づいた結果、結構、歳なんだな、とは思いたくない

UAの隣には、同じ背格好の女性がニコニコしながらUAと話していた
TOKIEさんのようにも見えたが、髪型が違う気もする
だが、他に女性が見つけられなかったので、しばらくUAの隣にいる女性を眺めていた
何かが違うような気がするのは髪の毛の長さだった
TOKIEさんはステージで、髪を頭の上でお団子にしていたが、UAの隣の女性はそこまで髪は長くない

どうしよう?
この人のことをTOKIEさんだと思うことにしようか?
でもこの人がTOKIEさんではないのから、ここはUAと椎野さんだけで、ベンジーは別行動なのだろうか?
次は5日後に鹿児島公演
その時に再集合ということも考えられる

そんなことを考えていたらベンジーを発見した
時々写真で見る焦茶のムートンのジャケットを着ていた
ベンジーはUAよりもホームの先にいて、周りにいる人たちと話をしていた
今日の茅野だとムートンは暑いかもしれないが、金沢を経由しての茅野なので、懸命な選択だろう

ベンジーは発見したが、心はまだTOKIEさんにあった
UAの隣の女性はTOKIEさんのようにも見え、違うようにも見える
いや、それよりもやはりベンジーだ
ベンジーの周りにいるのはスタッフなのかファンなのか?
スタッフだと近づき難いが、ファンなら自分が行っても構わないはずだ

そうやってベンジーを見て、TOKIEさんを探し、としていたら、ベンジーのいた方からポスターらしきものを持った子連れの人が歩いてきた
多分、サインをもらったのだ
こんな時、子供がいると強い

ならば、と隣を見ると、隣には妻がいた
実はベンジーは私の妻のことを知っている
知っていると言っても、それはラジオのお便りを通してのことだ
「知らない道」の中で「OK、そっちにするわ」という部分を、妻は「OK、送金するわ」と聞き間違えていた、というメールを、ベンジーが読んでくれたのだ
そして私が書いた話を「おもしろセンスがある」と褒めてくれた

実は、こうやってノートに自分が書いた文章を上げているのは、その時、ベンジーが褒めてくれたことが糧になっている

「役所コージーパウエルです」とその時のペンネームを名乗れば、多分ベンジーは覚えているはずだ
それでもピンとこないなら、「OK、送金するわ」と言えばいい
ちなみにベンジーが期間限定で合計6ヶ月ラジオをやった時、私は6回お便りを読まれた
その度にラジオネームは変えた
ある時は、夏目ミックジャガー、ある時はコーガン・フリーマン、ある時は、逆立ちゲリラ、ある時はオティンティン・タタンティーノ
オティンティン・タタンティーノに関しては、ラジオのディレクターからは「読まなくていい」と言われたらしいが、わざわざ読んでくれた
その回は、AJICOのメンバー全員がいて、UAとTOKIEさんの女性二人が引いている感じが伝わったが、それでもベンジーは読んでくれた
だからベンジーとは、積もる話がある

ベンジーとの距離は20メートルくらいになっていた
どうしよう?
勇気を出して行くべきかのか?
でも、ここで行ったら、ファンとして会うことになる
私は紛れもなくファンだが、だからこそ自分をファン以上の存在だと思っている
サインをもらったり、2ショットを撮ればそれで満足するわけではない
ベンジーの創ったものを、自分を介すことで別の何かに波及させたいと思っている
そうやって自分が波及させたものの存在をベンジーが知り、その上で会いたいと思っている
「アンドロイド・ルーシー」という映画を作ることにしました
そんな感じのことを言ってベンジーの前に現れたいのだ

だが、「アンドロイド・ルーシー」は一向に進まない
下北の古着屋を舞台にした学生バイトの話なら書けるかもしれないが、火星を舞台にしたレプリカントの話となると知らないことが多すぎるのだ

そうやって20メートルの距離を空けたまま、ベンジーを見つめていた
もしかしたら、こんな機会はもう訪れないのかもしれない
もしあったとして、それが5年後だったら、ベンジーはラジオのお便りのことは忘れているかもしれない
だから、行くべきだったのだ
後になって、そう思った

でも、行ってしまったら、何かが終わる
その時、そう感じていた
それはベンジーとの関係性であり、それが自分の原動力なのだ
ファンではなく、別のものとしてベンジーと対峙する
だから、この20メートルの距離を埋めるために、自分はこれから何かをしなくてはならない
そう思って、自分の足は固まっていた

何を、どうやってやるのか?
それを常に問うてきた
ベンジーのところへ行って、打ち解けて、意気投合し、一緒に飲みに行く関係になったする
でも、それでは何か足りない
何も返していないからだ
ベンジーが創り出したものに対し、自分も何か返さないと、貰ってばかりになる

そうやって2039になった
ひょっとしたら出発後、メンバーはグリーン車に移動してくるのかもしれない、と期待したが、そんなことはなかった
20メートルの距離を詰めきれなかった私は、車中、その意味を考え続けた
会社の金を使って映画を作ることはできないが、原作を書くことは自由だ
今回、偶然、ベンジーに会えそうになったが、会えるかどうかは偶然ではなく、自分にかかっている
偶然を待つのではなく、自分が世の中に発信できる立場になればいい
あの20メートルを埋めるために、自分で何かを創り出す
会社は忙しいが、朝なら書ける
ベンジーも朝、詩を書き、曲を作る
そうやって、積み重ねていくしかない
積み重ねていくことがどれだけ大切なのかは、ベンジーがライブで教えてくれた

私と妻は立川で降り、ベンジーが乗っている車両の前に行った
私は見つけられなかったが、妻はベンジーを見つけた
ベンジーはホームで見送るファンのために、車内から手を振っていたという

そんなわけで、私の中には、駅のホームで20メートル先にいたベンジーしかいない
あの20メートルの距離を埋めるために何をすればいいのか?
以来、それしか考えていない

自分の役割は、素晴らしい音楽によって、音楽以外のものを生み出すこと
それによって、ベンジーの素晴らしさを世に広めたい
そうすることで、あの素晴らしい時間にお返しがしたい


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