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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 83

 殿は、乱を筆頭に小姓五、六名を連れて長浜へ、そこから舟で淡海の竹生島に向かった。

 太若丸は、留守番である。

 片道十五里(約六十キロメートル)だから、今夜は泊まりか?

 いや、殿のことだから、日帰りだろうな。

 その間は殿から解放されて、羽を伸ばせるか………………というわけにもいかず、殿が〝神〟になるための方法を探るために、セミナリヨまで出向いた。

 院長となったニェッキ・ソルド・オルガンティーノと高井コスメが出迎えてくれた。

 セミナリヨには、すでに十人ぐらいの若者がいた ―― 高山友重の伝手で摂津高槻の若者が学んでいるそうだ。

 賑やかになりましたねと辺りを見回していると、

「これも上様のお陰でございまする」

 と、オルガンティーノは喜んでいた。

「本日、上様は?」

 竹生島まで遠乗りに。

「上様にも、是非に一度お越しくださいとお伝えください」

 オルガンティーノは、若者たちを指導しなければならないと席を外したが、あとはコスメに耶蘇教のこと ―― 仏教との違いなどを訊ねた。

 が、コスメもあまりよく分かっていないのか、芳しい答えが返ってこない。

 挙句、

「これらはまとめて、あとでオルガティーノ殿から話していただきましょう」

 などというばかり。

 御山(比叡山)の末端の坊主でも、もう少し己の教えのことは理解しているし、相手を説得させるほどの力量はあるが………………まあ、口が上手いだけということもあるが。

 う~む、大丈夫だろうか?

「いや、中西殿は熱心でいらっしゃる」と、コスメは頭を掻く、「それほど熱心に教えのことを訊かれるということは、興味がおありで? 如何ですか、このまま入信なされませぬか?」

 と、勧誘された。

 いや、それは………………と、手を振った。

「左様ですか、それは寂しい。どうも、我々の教えは誤解されているとこが多くて、惟任(明智光秀)様もお誘いしたのですが………………」

 笑いながら、誤魔化されたらしい。

「まあ、フロイス殿らも、惟任様のことをあまりよく思っていらっしゃらないようですし………………」

 ほう、如何様に?

「まあ、それは………………」

 と、コスメは誤魔化す。

 よっぽど酷いことなのか?

「フロイス殿らは、むしろ、ご子息らのほうが有望ではと話しております。惟任様のご子息は、まるで南蛮の王子たちのように気品があると話していらっしゃりまして、斯様なものこそ入っていただきたいものだと。そうすれば、この邦での布教も、より一層広まりましょうと」

 十兵衛の息子たち?

 幼い時にしか会ったことはないが、あの奥方の子どもであろう?

 まあ、十兵衛の血を濃く引き継いでいれば、良い男だろうが………………などと思いながら、セミナリヨをあとにし、屋敷へと帰った。

 思いがけず十兵衛から書状がきていた。

 その人のことを話したり、考えていると、その人から便りや報せがあるというが、まことにそのとおりである。

 久しぶりの便りに喜んで開けると、近況が綴られていた。

 堺の豪商で茶人の天王寺屋(津田)宗及とは、互いに茶会を催したりして、親睦を深めているらしい。

 先の四月には、十兵衛親子、長岡(細川)藤孝親子、宗及、これまた堺の豪商で茶人の薩摩屋(山上:やまのうえ)宗二(そうじ)、摂津の商人平野道是(ひらの・どうぜ)、連歌師の里村紹巴(さとむら・じょうは)とともに、丹後宮津で朝餉の会を催し、天橋立を遊覧し、その後は紹巴と連歌会を催したとか。

 宋及からは、『いつでも力になる。いざというときは、堺の商人が一丸となって惟任様を支える』という言質を得たという。

 それは、心強い。

 十兵衛も、嬉しかったのだろう。

 珍しく筆が踊っていた。

 そのあとは、丹後の何処何処村に御定書を下したなど綴られ、最後に明智家の家中法度と軍中法度を定めたいので、草案を考えてほしいと書かれていた。

 幸か不幸か、昔からいた家臣団に加え、長岡(細川)や一色、筒井などが与力として下につき、さらに佐久間の軍団もほぼ継承し、織田家一の大軍団となってしまった。

 この軍団をまとめるには、やはりそれなりの法度が必要だと。

 それまで慣習としての掟はあったが、それをしっかりと書面にして各部に配り、物事に対して一致団結してあたりたいとのことであった。

 確かに、それは大切だ ―― しかし、一致団結してあたる物事とは………………

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