【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 1
かちっという乾いた音に、火花が飛び散る。
かちっ、かちっと2度 ―― 火花が2つ。
さらにもう1つ増えたところで、ぼわっと一瞬辺りが明るくなり、しばらくして煙が吹き上がって、やがて火の柱が立ち上がった。
「火事だ!」
男は大声で叫んだ。
「火事だ!」
周辺の屋敷から男たちが顔を覗かせる。
「火事だ! 火事だぞ! 早く消せ!」
男たちが慌てだす。
「水だ! 水持って来い!」
「急げ! 近くの家には、早く逃げろと言ってこい!」
「逃げろ! 火事だぞ!」
大騒ぎする中、ふたりの男がそっと逃げ出す。
やがて、女や子どもたちの悲鳴も聞こえてきた。
辺り一帯は騒然となっている。
ふたりの男は、それを背中に聞きながら、湖のほうへと逃げていた。
湖に出て、ひとりの男はその場に座り込み、もうひとりの男はほとりにしゃがみ、顔をじゃぶじゃぶと洗い出した。
水面がゆっくりともとに戻りだすと、三日月が浮かび上がる。
男の顔が青白く浮かぶ。
黒万呂である。
はあはあと肩で息をしている。
火事の現場からは大分遠いが、それでも男たちの怒声や女たちの悲鳴が聞こえてくる。
黒万呂は、水面に映り込む自分の顔をじっと見つめる。
目の下にはくっきりと隈ができ、頬は痩せ、頬骨が浮かび上がっている。
いま八重女が見たら、黒万呂と分かるだろうか?
いや、いまの状況で顔をあわせるわけにはいかない。
こんな恥ずかし自分を見せられない。
こんな火付けのような行為をしている、恥ずかしい自分を………………
「黒万呂、行くぞ。次は西の方だ」
もうひとりの男が腰をあげ、声をかける。
黒万呂は黙って立ち上がり、男のあとについていく。
―― なんでこんなことに………………
八重女、俺、どないしたらええんや?
男は、そっと三日月を見上げた。
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