【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第四章「偏愛の城」 26
「されど、惟任殿の城は湖岸に突き出た水城、安土は山城……、五層であっても坂本よりも高くなり、十分な眺望が望めるかと……」
高重が口を開く。
「たわけ!」
屋敷中に響き渡る殿の甲高い声 ―― 久しぶりだ。
「儂が言っておるのは、そのようなことではないわ! 実際に高くなっても、天守が見劣りしては、何が天下万民が畏怖する城じゃ! 片腹痛いわ!」
「申し訳ございませぬ」
「よいか、儂は言うたはずじゃぞ、天下万民が畏怖する城にせよと! それが、たかだか五層の城では、鼻で笑われるわ!」
五層の城でも十分凄いと思うが。
「ゆくゆくは、都の公家や帝も招くのだぞ。やつらは、内大臣が造った城だから、どれほど素晴らしいものかと思ったら、さほどのこともないと嘲笑するであろう。貧しいくせして、戦の才もない、政事もできぬ、生まれだけを誇る〝うつけども〟に笑われるなど、腸が煮えくり返るわ!」
信長は、先ごろ内大臣の内示を受けた。
もちろん、令外官 ―― 律令にない、すなわち法文に載っていない、臨時の官位である。
左右大臣ほど権限はないが、当代では常態化し、名誉職のようなものになっている。
まあ、朝廷の官職など、すでに名ばかりの、名誉職みたいなものだが。
そんな官職、もらっても使えん………………というのが、殿の考えである。
だが、生まれと地位だけが唯一の自慢である公家衆から受け取れと言われれば、断るわけにもいかない。
向こうの魂胆はだいたい分かっている。
銭を出せということだ。
朝廷の官職に就くには銭がいる。
この職なら何文と決まっているぐらいだ。
そして、めでたく官職を得られれば、今度はお礼である。
いったい、いくらの銭がばらまかれるのか。
口だけ動かしていれば銭が入るのだから、公家とは楽な仕事だなと、殿は鼻で笑っている。
此度の内示も、内大臣にしてやるから銭を出せである。
それほど、帝をはじめ公家衆は貧窮していた。
公家衆を助けてやる義理などないが、それでも世間体というものがあるので、これを受けた方が得策ではないかという京都所司代村井吉兵衛貞勝(むらい・きちべい・さだかつ)からの書状で、まあ、吉兵衛がそこまでいうのならと、これを受けることにした。
十一月辺りに京へとあがり、正式に受けるつもりのようだ。
「あんな〝うつけども〟に頭を下げるなど反吐が出そうだが、これも世の常なら仕方があるまい。だが、いまやどちらが天下の主か分からしめる必要があろう。本丸は、内裏よりも豪華な作りにし、天守は五層以上、六層、七層積み上げ、公家どもを見下してやる」
「し、しかし、それほど積み上げては……、いままで左様な城は見たことがないもので、できるかどうかは………………」
「見たこともないから、誰もが驚き、ひれ伏すのではないか! できるか、できぬかなど聞いてはおらぬ! 又右衛門!」
高重の隣に座っていた大工棟梁の岡部又右衛門吉方(おかべ・またうえもん・よしかた)に声をかける。
「必ずや、殿のお気に召す荘厳な城を造り上げてみせます」
と、吉方は神妙に頭を下げたる。
ようやく機嫌が戻ったのか、殿はにこりとほほ笑んだ。
太若丸は、そこでそっと茶を差し出す。
殿は、うむと頷き、ごくごくと飲み干した。
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