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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第四章「偏愛の城」 55

「恐れ入ります」

 そこに入ってきたのは、信忠である。

 後ろに林佐渡守秀貞(はやし・さどのかみ・ひでさだ)と長秀が控えている。

「なんじゃ? 明日は出陣じゃぞ。総大将が遅くまで起きていては、明日の戦に響くぞ」

 殿は、なかなか寝付かない子を諭すように言った。

 織田家の当主を譲ったとはいえ、親子の関係に変わりはない。

 殿にとって、信忠はまだ勘九郎………………子どもなのだ。

「大殿に、お願いの儀があり、参りました」

「何用か? もっと兵をつけろというか? ならば………………」

 信忠は首を振る。

「では……?」

 信忠は、すっと大きく息を吸った後、覚悟を決めたように口を開いた。

「筑前守の件、お許しをいただきたく………………」

「なに?」

 殿は、眉を吊り上げる。

「どうか……、筑前守をお許しください」

 織田の当主が、手をついて頭を下げる。

「止めんか、勘九郎!」、殿の怒声が夜の安土に響き渡った、「織田の当主たるものが、たかが〝猿〟一匹に、何たる無様な! 頭をあげぃ!」

「あげませぬ! 大殿からお許しをえるまでは、頭をあげませぬ!」

 余計に頭を下げる。

 この頑なな姿、誰かにそっくりだ。

 ひとりの武将に拘るところも。

 しかし、殿が久秀に拘るように、勘九郎君も何故秀吉に拘るのか?

 確かに、織田一の働きものではあるが………………

「おのれ! 頭を上げぬと、そなたの首も刎ねるぞ! 太若丸、刀を持て!」

 殿、それは………………今にも刀を取ろうとする殿を、信盛や十兵衛たちも止めに入った。

 そこに、長秀が進み出る。

「大殿、某からも、何卒お願い仕る!」

「なに! おぬしも首を切られたいか!」

「羽柴殿は織田一の働きもの、忠臣にございまする。これを一回の過ちで失うは、あまりにもったいのうございまする」

「一回の過ちじゃと? はははは………………」、殿のから笑い………………なんとも不気味だ、「過ちどころではないわ! 修理亮(柴田勝家)の命(めい)は、儂の命も同じ。それに従わぬは、儂に従わぬも同じ! 過ちどころか、儂への謀反じゃ!」

「それは……、羽柴殿にも、羽柴殿の考えがございまして………………」

「〝猿〟が考えごとなどできるか! 修理亮の命を聞いて、素直に動いておればよいではないか! お陰でどうじゃ、あいつが勝手に陣を退いたせいで、修理亮は散々な戦であったのだぞ!」

 秀吉とのごたごたがあったが、勝家はそのまま軍を七尾城に向けた。

 一向門徒の抵抗でなかなか進まなかったが、それでも手取川を越え、あと一歩というところで報せが入った。

 七尾城が落ちたという ―― それが九月十五日のこと。

 勝家が手取川を渡ったのが二十三日。

 七日以上も前に、遊佐続光(ゆさ・つぐみつ)らが上杉と内通し、長続連一族を皆殺しにして、謙信を城内へと入れた。

 謙信は、織田軍の進軍に備え、手取川近くの松任城に入ったとか。

 これは拙いと、勝家は直ちに撤退を命じた。

 だが、謙信はこれを八千の兵で追いかける。

 何とか逃げ切った勝家だったが、千人余りが打ち取られ、あげく増水した川で多くの将兵が流されたとか………………

 こういった状況に陥ったのも、〝猿〟が修理亮の命を聞かなかったからだ………………というのが、殿の考えだ。

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