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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第三章「寵愛の帳」 101

 しばらく、御膳に舌包みを打ちながら、近頃の戦や天下の状況の話をしたあと、
「十兵衛、何か良い案はないか?」
 と、殿は例の話をしだした。
「確かに、こちらの犠牲を少なくする戦い方があれば、これこそ好都合ですが………………」
 十兵衛は腕組みをし、天井を睨む。
「それならば……」、次右衛門が口を開く、「やはり弓か鉄砲でしょうか?」
「いや、弓は今日日難しいであろう」
 庄兵衛が首を振る。
 確かに、弓は遠距離から敵を倒すことができる。
 それこそ古来より使用された武器であり、鉄砲が登場した当代でも利用されている。
 むかしの戦いは、弓撃ちから始まる。
 お互い遠くから弓を撃ち合い、矢が尽きると、阿吽の呼吸で兵士同士の肉弾戦に入る。
 最終的に大将が出陣し、一騎打ちで勝敗を込めることも多々ある。
 馬上から弓で撃ち合い、それが果てれば接近戦で抜刀し、刀も毀れれば、取っ組み合いである。
 弓は武士の嗜みであり、『弓取り』は強い武将の異名でもある。
『坂東一の弓取り』とは宇都宮公綱(うつのみや・きんつな)であり、『海道一の弓取り』とは、今川義元であり、徳川家康である。
 弓は、腕力と鍛錬が必要で、下手が使うとあらぬ方に飛んでいく。
 武将は、この鍛錬を怠らない。
 だが、畑仕事の合間に兵として徴収される百姓たちに、弓を教えるのは並大抵ではない。
 前代の戦なら、兵の数は数十から数百 ―― 殆どが戦闘慣れした武将や雑兵だ。
 しかし、当代の戦は百姓を徴収し、何百、何千という兵がぶつかり合う。
 その連中に、弓を教えるのも手間がかかる。
「それならば、まだ鉄砲の方が良い」
 鉄砲は、使い方さえ教えれば、非力な者でもある程度使える。
 それは、太若丸の村で経験済みだ。
「確かに鉄砲は使い勝手が良いが……」、左馬助が首を傾げる、「遠くの敵を倒すには不利でございましょう。弾込めにも手間を要し、その間に攻め込まれまする」
 当代の銃は、火縄である。
 銃身の先から弾を込める、先込銃である。
 縄に火をつけ、銃の先から火薬と弾を入れ、カルカという棒で奥へと入れ込む。
 火皿に口薬(点火薬)を入れ、火ぶたを閉じる。
 火ばさみに火のついた縄を挟み、再び火ぶたを開いて、狙いをつけ………………引き金をひく! ―― ちなみに、物事をはじめる『火ぶたを切る』とは、この火ぶたを開けることである。
 火ばさみに挟まれた火縄が、火皿の口薬に点火し、これが銃内の火薬に着火、爆発して、弾が飛び出る。
 その飛距離、百六十五尺(五十メートル)から、三百三十尺(百メートル)ほど。
 一発撃つと、次の弾を装填しなければならない。
 その間、二十秒から三十秒。
 陣笠に、胴巻き、槍、刀を装備しただけの軽装の足軽連中が突っ込んでくれば、すぐに間を詰められる。
 よほどこちらの防御を頑強にしておくか、あるいは逃げる相手に撃ちかければ効果があろうが、攻め込んでくる相手では、一発撃ったら逃げねばならぬ。
 しかも、雨に弱い。
 水に濡れないように雨蓋つきの鉄砲もでてきたが、火薬を装填中に湿気る恐れもある。
 さらにいえば、鉄砲は手入れが必要だ。
 黒色火薬が爆発すると、それが銃身内に僅かに残る。
 これが撃つたびに蓄積され、銃内が小さくなる ―― そのために、弾を小さくしていく方法もある。
 それだけならいいが、残った煤が熱を持ち、暴発することもある。
 さらに、そのままにしておくと錆びの原因となり、銃そのものが使えなくなる。
 誰でも使えるが、手入れが大変 ―― 弓と銃ともに、一長一短である。

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