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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第三章「寵愛の帳」 100

 広間に入ると、善の仕度が整っていた。
 ご相伴に預かろうと、明智左馬助秀満や明智次右衛門光忠、藤田伝五行政、斎藤内蔵助利三、溝尾庄兵衛茂朝の顔が並ぶ。
 懐かしい。
「粗末なものでござりまするが………………」
 と、十兵衛は予め断ったが、なかなか豪勢な膳であった。
「本日は、殿がお越しになるとのことで、妻どもが張り切っておりまして……、お口にあいますかどうか?」
 殿は、鱠をちょいっと口に運び、
「美味いではないか、おぬし、毎日こんな美味いものを食しておるのか? 贅沢な奴め」
 と、笑う。
「お口にあって何よりでございます。できれば、殿に挨拶をさせたいのですが………………」
 女子たちが入ってきた ―― また増えている。
 またまた懐かしい顔が並んでいる。
 見たくもない顔もあるが ―― 左頬の痣が気持ち悪い!
 はじめは、十兵衛の嫡男である十五朗が、殿の前にとてとてと覚束ない足で歩み出て、とてっと手をつき、挨拶をした。
 まだ三つだ。
 だが、一生懸命挨拶する様子と、舌足らずな口調に、殿も終始笑顔だった。
「なかなか、賢い子ではないか。生末が楽しみだな」
「恐れ入りまする。次に………………」
 それぞれの息子たちの挨拶が終わると、今度は女たちである。
 十兵衛の妻からはじまり ―― その手には、最近生まれたばかりという赤子が抱かれていた ―― 左馬助の妻の後に、見目麗しい女が頭を下げた。
 ―― こんなお淑やかな女がいただろうか?
 と、一瞬思った。
 漆のように美しく長い髪の間から覗く顔をよくよく見ると、玉子だと気が付いた。
 少女のあどけなさは残っているが、随分大人びて見える。
 もうあれから三年ぐらいだろうか?
 あの当時の勝気で、小生意気そうな面影はなく、どこに出しても恥ずかしくない穏やかな顔をしている。
 女たちは挨拶を終えると、下がっていったが、玉子は最後にちらっとこちらに視線を寄こすだけで、あとは何事もなく出ていった。
 やはり離れてよかったのだ。
 良い女になられた。
 これなら、良い相手が見つかるだろう。
「うむ、おぬしらの子らは美形ぞろいだな」と、殿も驚かれていた、「特に、あのお玉という娘は美しい。あれに、良い相手はいないのか?」
「いまだ」
「もったいない。それならば、奇妙に………………、あっ、いや、あれには公家の嫁をと思っておるからな。ならば……、坊丸とはどうじゃ?」
「七兵衛(しちべい)様にでございますか?」
「あれも良い年だ。父親のことがあっても、儂に良く仕え、働いてくれる。良い相手を娶せてやれねば、儂も勘十郎(織田信行)に会わせる顔がない」
 幼名を坊丸 ―― 織田七兵衛信澄は、信長と家督争いをした実弟信行の嫡男である。
 我が身を守るためとはいえ、実弟を殺さねばならなかった負い目からか、息子の信忠の次に可愛がっている。
「拙者からすれば、願ってもないことで……」
 と、十兵衛が口にしたところで、
「あいや、しばらく」
 と、玉子の実の父である左馬助が口を開いた。
「お玉には、七兵衛様の妻は少々重荷かと………………」
「なんじゃ、坊丸では不服か?」
 殿の言葉に、左馬助は慌てて首を振る。
「滅相もごさりませぬ。ただ、お玉は少々勝ち気で、男盛りなところもあり、七兵衛様にご無礼を働いては………………」
 己の娘を悪くいう親がいようか?
 まあ、むかしの玉子のことを知っていれば、然もありなんだが ―― 容姿は変わっても、性格というのは、なかなか変わらないのだろう………………
「面白い娘ではないか」、信長は笑う、「大人しい坊丸にはちょうどいいが……、まあ、親がいうなら仕方があるまい。十兵衛のところに、他に似合いの娘はおらんのか?」
「されば……、斎藤の娘を………………」
 内蔵助の娘を十兵衛の養子とし、信澄のもとに嫁ぐことが決まった。
 ―― 玉子は、いったい誰の嫁になるのやら?

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