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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 69

 さらにその二日後、安土城普請の功績にと、津田信澄、惟住(丹羽)長秀のふたりにしばしの休息が与えられた。

 十七日には、再び大規模な相撲が催され、おおよそ一月後にも相撲が催された。

 その間に、先般から殿が銭を出して修復していた石清水八幡宮の本殿が落成、多くの参拝者で賑わい、

『神様は、人々が敬うと、ますます威光を増すというが、これで、織田家はますます繁栄する』

 と、噂し合った。

 その石清水八幡宮の御威光か、宍粟の長水に籠っていた宇野民部が撤退をはじめ、秀吉はこれを落とすと、因幡・伯耆の国境まで進みて、その一帯を悉く平らげた。

 そうこうしているうちに、太若丸の屋敷も完成したので、少しの家財道具と大量の書物を運び入れた。

 もともと何も持たずに村を出て、御山の稚児になったり、殿の小姓になったりしたが、持っているものはそれほど多くはない。

 それでも書物だけは、殿からの無理難題に答えるために、何かと多くなってしまった。

 殿の小姓として、家財の移動などは慣れているつもりであったが、いざ己のことになると、何故これほど面倒で、疲れるのであろう。

 乱が頻りに手伝うといっていたのだが、殿の傍を離れるわけにもいかず、代わりに乱の弟たちが手伝ってくれたが、あれこれと指示を出さねばならず、かえって疲れてしまった。

 その夜は、飯も取らずに早々に床についてしまった。

 初めての屋敷で、初めてのひとり寝である。

 よくよく思い出すと、ひとりで寝るのは初めてではないか?

 部屋のなかをぐるりと見回す。

 随分広い屋敷ではないか?

 寂しいというわけではないが、なぜか不安になる。

 村にあっても、御山にいても、殿のところに来ても、誰かしらが傍にいた。

 こうして寝返りをうつと、そこには誰かがいて、夜の相手をした。

 体を寄せて、相手のなすがままにされて、こちらも相手の体に指を這わせ、そっと下の方へと落として、そこに指を這わせると、ふとそれは窪んだ沼地のようにぬるっとした感触で、はたと見ると見知らぬ女が喘いでいる。

 この女は誰かしら?

 あの女か?

 それとも、あの女か?

 などと思っていると、己のものがするりとその中に入り込み、しばし重なり合っていると、女とともに果ててしまった。

 気が付くと、湖に佇む女の腕には、赤子が泣いている。

 元気に泣く子をあやしている女を見ていると、ああ、こういう生き方もあるのだと………………目が覚めた。

 障子の向こうは薄っすらと白ばみ、かたりかたりと音がして、女たちの声が聞こえる。

 ああ、もう朝か、近所の女たちが朝餉を作っているのだろうと、伸びをした。

 外に出ると、なるほど女たちがいた。

 井戸端で、米を研ぎ研ぎ何事が楽しそうに話をしている。

 顔を洗おうと女たちに挨拶をすると、女たちも挨拶を返すが、頬を赤らめ、きゃきゃと騒いでいた。

 その甲高い声に、少々頭が痛くなりそうで、寝不足であろうか、それとも昨日の疲れがまだ残っているのか、しゃぶしゃぶと顔を洗うと、

「おや?」

 と、声をかけられた。

 幾分年のいった、初老には早すぎるが、それでも貫禄のある女である。

 赤子を抱いている。

 はて、先ほどの女?

 いや、馬鹿ななどと思いながらも、どこかで会ったことがある女だなと思っていると、

「いやですよ、お忘れですか? 斎藤内蔵助の女房ですよ」

 と、笑った。

 ああ、斎藤さんところの安(あん)殿か………………随分久しぶりだ。

「なぜって? いえ、従兄弟の刑部が大殿からお屋敷をもらったんで、そのお祝いにきてるんですよ」

 太若丸の屋敷の隣は、稲葉刑部少輔の屋敷だ。

 聞けば、安と刑部少輔は従兄妹同士とか ―― 安の父は稲葉良通(いなば・よしみち:一鉄(いってつ))、刑部少輔は良通の兄通明(みちあき)の子 ―― それは知らなんだ。

 で、そこに抱いている子は、刑部の子?

 すると、安は頬を赤らめ、

「いやですよ、うちの子ですよ。この年の子なんですけど、いや、恥ずかしですよ」

 と、歯を剥き出しにして、がはがはと笑う。

 子?

 あの内蔵助の子?

 何人目?

「うちのも恥ずかしいと言ってるんですけどね、それでも、できちまったんだからしょうがないなんていながらも、やっぱり一番下の子は可愛いみたいでね。まるで猫かわいがりですよ。従兄弟のお祝いに行くと言ったら、この子を置いていけって言うんですよ。まだまだ乳飲み子、母親と離れてどうします? なら、わしもついていくなんて言うもんですから、あんたは黒井のお城でいろいろとすることがあるでしょうと叱ったのですよ。そしたら、あからさまに元気がなくなるものですから、笑ったのですよ」

 そりゃ、内蔵助にしてみれば、孫のような感じだろう。

 いつも精力に満ちあふれている男が、しょんぼりとしているところを想像して、噴き出しそうになった。

 女は、まだしばらく話をしたいようで、

「どうです、うちのほうで朝餉でも?」

 と、誘う。

「お内儀さんも一緒に」

 太若丸は慌てて首を振った ―― 嫁はまだ。

「あら? こんな立派なお侍さんになられたのに、まだだなんて。それじゃ、何かと不便でしょう」

 いや特に………………別段、いまのところは不便はしていない。

「飯はどうなさっているんですか?」

 登城すれば、用意してある。

「お掃除、洗濯は?」

 昔からしてきたので、特段面倒でもない。

「じゃあ、夜はどうなさるので?」

 首を傾げると、

「下の方ですよ。そんな若さじゃ、我慢できないでしょうに、もしかしておひとりで? 駄目ですよ、そんな勿体ない。太若丸さんなら、一夜でもいいから相手をしたいという女もたくさんいましょうに」

 いや、特段………………こちらが相手をするほうが多かったので、意外に己から欲しいとも思わないのだが………………

「いいでしょう、うちが見繕ってあげますよ。とびっきりの嫁を見つけてあげますよ」

 いや、それは………………別に誰と添い遂げるつもりはない、ずっと十兵衛の傍にいるのだから。

「ああ、それとも、うちの子はでうですか?」

 覗き込むと、これはこれは、なんとも肉付きの良い、まんまると饅頭のような子である。

 この大きさだと、男の子か?

 しかし、うちの子はどうかと言ったぞ?

「いやですよ、女の子ですよ、福(ふく)といいます」

 これは失礼仕りましたと頭を下げた。

 どんな女が好みなのかと色々聞きたいからと、隣の屋敷に強引に引っ張り込まれた。

 登城すると、一目散に乱が寄ってきて、

「昨夜はどうでしたか? 眠れましたか? あら、腹がぽっこりと?」

 と、お腹を擦る。

 食わされた。

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