【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 中編 11
場がざわめく中、一人の重臣が進み出た ―― 大伴鯨連(おおとものくじらのむらじ)である。
「申し上げます、大王のお言葉がある以上、それに従うべきです。いまさら我らが意見できましょうか?」
「それはどういうことかな、大伴殿?」
麻呂は訊き返した。
「大王は、なぜ田村様に、『神より国政を預かるのは大王の重要な業、くれぐれも慎重に行動せよ』とのお言葉を残されたのでしょうか? 考えるまでもございません、大王のお考えは明らかです。これにより次の大王は決まりました。いまさら、誰に異論がありましょうか」
と、鯨は述べた。
「我々も、大伴殿の意見に同じであります」
これに賛同したのが、采女摩礼志臣(うねめのまれしのおみ)・高向宇摩臣(たかむくのうまのおみ)・難波身刺吉士(なにわのむざしのきし)・中臣御食子の四人であった。
「なるほど、では、次の大王は田村様で決まりかな?」
麻呂が見渡す。
「あいや、しばらく!」
進み出たのは、許勢大摩呂臣(こせのおおまろのおみ)であった。
「我々は、山背様を推します」
「して、その根拠は?」
「山背様は、亡き大王のご寵愛深く、学才も優れておられる。また、人望も厚い。そして何より、いまは亡き厩戸様の忘れ形見であられます」
「そなたは、大王のお言葉を無視するおつもりか?」
鯨は、大摩呂に詰め寄る。
「無視するつもりなど到底ございませぬ。されど大王は、田村様に大王としての業についてお話になっただけで、大王を頼むと信託された訳ではありません。山背様につきましても、大王として軽々しいことは口にせず、良く重臣の意見を聞けとお話されたとも理解できます。大王のお言葉だけで、次の大王を簡単に決めるわけにはいきません」
この意見に賛同したのが、佐伯東人連(さえきのあずまひとのむらじ)・紀塩手臣(きのしおてのおみ)の二人であった。
「さてさて、これは揉めるはなあ……」
麻呂は、意味ありげに蝦夷を見た。
蝦夷は、ただ頭を下げるしかなかった。
「ところで、先ほどから何事も発言なされぬ御仁がおいでじゃが、何かご意見おありかな?」
麻呂は、騒ぎ立てる重臣たちの後ろで、一人腕を組み、黙ってこの様子を見ていた蘇我倉摩呂臣(そがのくらのまろのおみ)に目をやった。蘇我倉摩呂は、蝦夷の弟である。
「ここで、軽々しい発言は避けたいと思っております。国の大事ゆえ、よくよく考えをまとめてからの方がよろしいかと」
と、彼は頭を下げた。
実の弟もこの様である。蝦夷も頭が痛かった。
「なるほど、それも一理ある。大王は国の根源である。その大王を、この場で早急に決めることもなかろう。のう、豊浦殿?」
蝦夷は頭を下げた。しかし、このままでは何も決まらないのではと彼は思った。
「どうであろう、今宵はもう遅い。また、日を改めてということで。そうすば、各々頭を冷やして、いい考えが浮かぶであろう。どうであろうか、皆の衆?」
麻呂の言葉で、その場は解散となった。
結局、堂々巡りかと蝦夷は思った。
蝦夷は、玄関先まで彼らを見送りに出た。
「それでは、豊浦殿」
「はい、ありがとうございました、大鳥殿」
帰り際、麻呂は蝦夷の耳元にそっと言った。
「ご案じなさるな。大きくなりすぎた山は、自然と崩れるものじゃ」
意味が分からず、蝦夷は頭を垂れながらも、眉を顰めた。
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