【自伝的随筆】『女帝は嗤う』
家庭というのは、1番小さな社会単位で、子どもたちが1番最初に属するコミュニティーであり、1番最初に社会性を学ぶ場所でもあるわけで、その段階で精神的・肉体的暴力や、夫婦・親子・兄弟等の喧嘩、親族の反社会的な言動等を見せられたら、そら、普通の子どもに育ちませんわな。
いや、自分は子どものころ、複雑な家庭に育ったけど、まともに育った、立派な大人になった、という人はいるでしょう。
それは、もちろん否定はしませんし、大変な立派なことです。
ですが、意外に自分が可笑しいこと、何らかの行動をするときに、自然とブレーキがかかってしまうとか、他人とは少し変わった考えを持っているとか、気がつかないのですよ、私みたいに。
いえいえ、気がつこうとしないのです、自分はまともだ、普通の、良識ある人間だ、と思いたいのですよ。
実際、私がそうでしたから。
子どものころの家庭環境を思い出すまで、自分はまともだと思っていましたから……
いまの自分がそうですから……女性に対して一種の恐れを持っている。
その恐れの原因が、恐らく生まれて1番最初に接した女性……祖母や母、姉なのでしょう。
女性たちの喧嘩を見て、子ども心に、女性は怖いものだと植え付けられたのでしょう。
ですから、女性と話すときには、少し緊張してしまうのです。
全く話せなくなるとか、嫌いとかではなく、できるだけ端的に、短い会話で終わらせようとするのです。
これは、女性だけでなく、男性と話すときも同じですが、正直雑談が苦手で、できれば他人と話さないで1日過ごしたいと思うような人間で、他人と一緒になったとき、特に話すことがないので黙っていたいのですが、それだと相手に悪いし等と考えてしまって、何を話したらいいんだろうかとか、向こうから話しかけてこられたらどう返したらいいんだろうかとか、いろいろと考えてしまって、疲れるので、やっぱり他人と話すのは苦手なんです。
特に女性と話すときは、疲労度が半端ない。
それは、家族と話すときも同じです。
実家には帰っても、特にこちらから話すこともないので、黙ってることが多いです。
むしろ、実家にいると話しかけられので疲れてしまう、独りでいたいので、一泊だけして帰郷ということが多々ありました。
いまは数年帰ってない状況です……特に帰りたいとも思わないので。
姉とは、時々メールでやり取りしてます。
姉は、昔のことが嘘のように、最近落ち着いているようです。
まあ、表面だけで、多分色々と抑え込んでいるのでしょうが。
それでも、些細なことで怒らなくなったのでいいのですが。
しかし、未だに不思議に思います、なんであんなに喧嘩ばかりしていたんだろうと、怒ってばかりいたんだろうと。
怒りっぽい女性だから、嫌なやつなのだろとお思いでしょうが、私は嫌いではありません。
兄弟仲が悪く、顔も会わせたくないという人がいますが、姉弟仲はいいほうだと思います。
もちろんお互いに気を使っていることがあるのでしょうが。
私の趣味というか、好きなことの多くは、少なからず姉から影響を受けていますから。
歴史好き……特に考古学……エジプト考古学の吉村先生とか好きで、その手の本を読み漁ってましたね。
音楽の趣味も、ほとんど姉の影響です。
特に好きだったのが、大江千里さん、渡辺美里さん、米米CLUB……
大江千里さんのアルバムは全部持ってました。
いまはアルバムではありませんが、スマホにダウンロードして聞いてます。
このnoteにも記事を寄せてらいしゃるので、フォローさせてもらってます。
子どものころ、あれほど憧れた人と同じ空間にいられるのが、とても不思議で、嬉しいですね。
それは兎も角、姉は、良くても悪くても、私の性格や人生に影響を与えた人間だということです。
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