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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 中編 16

 その後、斑鳩と豊浦の地を、数回に渡り使者が往復したが、山背王からの使者は、『大王の正しい言葉を明らかにせよ』というもので、これに対して蘇我蝦夷は、『言葉は、この前のとおり』と答えるしかなかった。実際、大王の言葉を述べたのは、安倍内麻呂であって、蝦夷ではなかったので、何度同じことを訊かれようとも、『この前のとおり』と答えるしかなかった。

「どうせ、大叔父上と舂米様が間に入っているのでしょう。無視しておいて宜しいのでは?」

 と、蘇我敏傍は言うのだが、蝦夷は、

「その方が心配だ。一族が分裂するようなことになればどうする」

 と、心配するのである。

 そしてこの心配が、まもなく現実のものとなる。

 斑鳩と豊浦の遣り取りが続く中、境部摩理勢の屋敷を密かに訪れた人物がいた。

 阿倍内麻呂と中臣御食子である。

「それで、大鳥殿には如何なる用向きで?」

 摩理勢は、なぜこの二人が、揃って屋敷の門を潜ったのか訝った。

「用向きは知れたこと。次の大王について、境部殿のご意見をお訊きしたいと思いましてな」

「ワシの意見?」

「そう、あなたの意見じゃ」

「ワシの意見は、毛人に言ったとおりだ」

「と、申しますと」

「次の大王は、山背様の他におらん」

 摩理勢の言葉に、麻呂と御食子は顔を見合わせた。

「何じゃ、大鳥殿には不服のようじゃな」

「いえ、とんでもござらん。しかし、豊浦殿は、如何やら違うご意見のようでしてな」

「ふん、あいつが何と言おうと、山背様で決まりじゃ」

「そうですか。では、我々の取越し苦労であったのかの、中臣殿」

 麻呂は、意味ありげに御食子の顔を見た。

「如何やら、そのようですね。豊浦殿が、戦の準備をしているという噂は」

 御食子の聞き捨てならない発言に、摩理勢の顔色が変わった。

「なんじゃと? 毛人が戦の準備をしておるじゃと?」

「いや、仮に問題が複雑化した場合は、豊浦殿が武力でことを収めると、飛鳥の専らの噂でございましてな」

「それに、ここだけの話ですが、島大臣の墓造りに拠出している人員を、兵士に転用させるとか」

 麻呂の言葉に、御食子が付け加えた。

「なんじゃと!」

 摩理勢の顳顬に、太い血管が浮かび上がる。

「いや、これはあくまで噂ですぞ、噂」

 摩理勢は、麻呂の言葉も聞かずに表に飛び出していた。

 墓造りの進捗状況の確認をしていた蘇我倉摩呂は、兵を引き連れて、物凄い形相でやって来た摩理勢に驚いた。

「叔父上、何の騒ぎですか、これは?」

「喧しい! 境部の人員を全て引き揚げるのじゃ」

「引き揚げるって、何故です?」

「煩い! 貴様らの魂胆など、疾うにお見通しだぞ。墓造りの民を兵士にしようとしているそうではないか」

 摩理勢の声が辺りに響き渡る。

 その声に、作業をしていた男たちの手が止まった。

「何の話ですか?」

「言い訳無用だ! おい、境部の民を全員連れて行け!」

 摩理勢は、兵士に命令した。

「しばらくお待ちください。墓造りの責任者は兄です。いくら叔父上の民であっても、いまは本家の支配下にあるはず。勝手な振る舞いはできないはずです」

「喧しいわ! 逆らうのならこうするまでだ、火を放て!」

 摩理勢は、兵士に火を放たせた。

 人足小屋が、次々に燃え上がっていく。

 その場は、騒然となった。

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