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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第三章「寵愛の帳」 37

 岐阜は、慌ただしい雰囲気に包まれていた。
 慌ただしいというよりも、殺気立っている。
 訊けば、北近江への出兵を明後日にも控えているという。
 加えて、この度は信長が嫡男奇妙の初陣である。
 負け戦はできないと、末端の雑兵まで息巻いているようだ。
 こんな状況で信長に挨拶し、舞いを見せるのか?
 大丈夫なのかと思い訊くと、藤吉郎も聊か心配のようだ。
「いや~、出兵はもう少し先かと思ったのですが、これほど早くなるとは……」、藤吉郎自身も家臣たちに出陣の用意を急かしながら言った、「殿は、思いついたらすぐさま行動に移されるお方ですからね、今が攻め時と見たのでしょう。ともかく、殿にご挨拶できるか、少々探りを入れて来ましょう」
 己の兵の用意だけでも忙しいのに、太若丸のことも気にかけてくれる。
 相変わらず豆な人である。
 藤吉郎の屋敷に案内され、家内の者も出陣の準備で忙しいので、居間でぼんやりとしていると、夕刻辺りに藤吉郎が戻ってきて、
「殿が、お会いになるとのことじゃ!」
 と、まるで我が事のように嬉しそうに告げた。
 城には、以前御山で出会った武将たちが揃っていた。
 出陣の準備で忙しい中、信長の命で集められたのだろう。
 たかが、都から稚児が来たくらいで何事かと、苛々しているのが見て取れる。
 中には、あからさまに不機嫌そうに溜息をつき、太若丸を睨みつける武将もいた。
 だが、その雰囲気も、信長の登場でがらりと変わった。
 それまでが、聊か騒々しい雰囲気があったが、信長が入ってきた瞬間に、まるで北風が吹きつけたようなひんやりとした感じになり、弓の弦をいまにも切れそうなぐらい目一杯張ったような緊張感があった。
 お久しゅうございますと、頭を下げると、
「さて、以前何処かであったか?」
 と、女性のような幾分高い声で訊いてきた。
 以前、御山で………………
「ああ、あの時のか? その後は?」
 殿のご命で、明智殿のもとに………………
「左様か」
 その辺りにあまり関心はないようだ。
「して、そなた、都でなかなかの活躍だとか………………」
 太若丸の代わりに、藤吉郎が都での評判を、太若丸自身が恥ずかしくなるほど盛り込んで話した。
 それに対して、信長は幾分退屈そうに聞いている。
 藤吉郎が話し終ると、
「左様か」
 やはり興味がなさそうだ。
 本当に信長は、太若丸の評判が気になって呼んだのだろうか?
 怪しくなってきた。
 もしかして、藤吉郎が殿の気を引こうと、先走ったか?
 沈黙が襲った。
 この沈黙はなんであろうか?
 太若丸から話すことなどない。
 他の武将は尚である。
 藤吉郎も、信長が思ったほどの反応を示さなかったので、拍子抜けしたようだ、可哀そうなぐらい目を瞬かせていた。
 しばらくして……というか、ようやくにして、信長が口を開いた。
「今宵は、奇妙の具足はじめの祝いである」
 信長の隣には、信長を少し小さくしたような、まだ前髪を残したままの少年が、興味深そうに座っていた。
 目を輝かせて、こちらを見つめてくる。
 信長の嫡男奇妙だ。
「太若丸と申す者、奇妙のために舞いを見せよ」
 畏まりましたと、太若丸は頭を下げた。
 下がった後、藤吉郎が慌てて駆け寄ってきた。
「太若丸殿、大丈夫でございますか?」
 何がでござろう?
「いえ、今宵のことでございます。いきなり舞えなどとなりましたが?」
 特段、心配することでもない。
 舞うことなど造作もない。
「奇妙殿の具足はじめの祝いです、粗相があっては………………」
 藤吉郎は小声で話す。
 訊けば、信長は奇妙を大変可愛がっているそうだ。
 大切な息子の初陣の祝いの席で、無様な踊りを見せれば、お叱りを受けるだけでは済まされないらしい、下手をすれば首が飛ぶとか………………
 なるほど、それは下手はできませんね………………と、太若丸は考える。
 初陣の祝いの席にちょうどいい舞いとは………………
 ふと、思い当ったので、それを舞ってみよう………………

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