会社の怖い話【鈍感な方が幸せなのかも?という話】
昨日、仕事のことで聞きたいことがあったので私の新卒入社時の同僚に電話をかけた。
私は一度退職しており、現在はアルバイトとして地元近くの店舗で働いている。
同僚は店長職。元々は違うエリアにいたのだが、つい2週間位前に私が社員時代働いていたエリアに異動してきたという。
しかも異動先の前任店長が私が辞めたときの上司。さらに驚くことに同僚と入れ替わりで本社に栄転したというのだ。
とても信じられなかった。上司はお世辞にも仕事ができる人間ではなかった。
接客販売の個人スキルは高いがリーダーシップ、責任感、指導力、管理能力は部下の私から見ても褒めるところが見つけられなかった。
正直に言ってしまうと私はこの人に席を譲る形で昇格を見送られたようなものだった。しかもこの人の部下につけられ、フォローに奔走させられた挙げ句に会社からはさほど評価されないという生き地獄にはめられたことも辞めた一因だったのだ。
そんなおよそリーダーに向かない彼がなぜ担ぎ降ろされるどころか本社栄転という話になるのか。
それはひとえに彼の人柄に尽きると思われる。
仕事はできないが、純粋で真面目で優しくて一生懸命。受くるより与うるは幸い也、とでも言わんばかりのお人好し。そして作業がどんなに遅れていようと店が汚れていようと従業員に不和が発生しようと能天気に気持ちよく働ける図太い神経の持ち主だった。
パートさん達も仕事上は全く信頼していないようだったが、その憎めないキャラクター性でたててやっているような感じだった。不器用だが優しくて頑張り屋の我が子を見ているような感覚だったのかもしれない。
懐かしさにかまけて説明が長引いたが、その上司は私が辞めた後に異動して上述の店舗に来ていた。つまり、同僚が2週間前に着任した店だ。
怖いのはその店での話だ。
同僚は着任したその日に前任者である上司との引継ぎ業務を終え、2日目以降はもう完全に店舗運営にかかり店を回していた。
店舗には従業員のその日の仕事内容や役割分担、連絡事項を記した紙がファイルしてあり、上司はその紙に挨拶の文章を記して去っていた。
何日かして、同僚は暇なときになんとなくそれを読んでみた。
「〜今までご迷惑をかけることもあったかもしれませんが、本当にありがとうございました。〜」
という文章があったのだが、なんとその文章中の「あったかもしれませんが、」の部分が黒い二重傍線で消され、赤ペンで「かけてばかりだった!」と修正されていたという。
「〜今までご迷惑をかけることもあったかもしれませんが、かけてばかりだった!。本当にありがとうございました。〜」
・・・・・。
同僚によれば修正を行なったパートの目星はついているらしいが、そんなに悪い人ではないそうだ。
むしろきっとその人が提案してきた意見や改善点、頼み事やお願いなどを大小関わらずことごとく放置してきた結果がこの修正事件なのではないかと推察していた。
パートさんもイライラしていたが、上司の人間性が良いものだからつい強く出られず、会社に報告したり解任案を突きつけるまでのことはできなかったのではないだろうか。
放置してきたというと少し悪いかもしれない。上司は仕事ができないので、それを忘れてしまったり、やるつもりが他の仕事に忙殺されて結果やってなかったり、という状態だったのではないか。
私が部下のときも、客から受けた注文をいつまで経っても発注せず、慌てて私が発注をかけたことが多々あった。私が気を回さなかったら大クレームになっていたところだ。
上司は後で悪びれもせず「あ、やってくれたんですね。ありがとうございまーす(^^)」などと声をかけてきてなんとも唖然としたものである。
同僚は上司とあまり関わりがなかったらしいが、引継ぎの一時ですぐ仕事ができなそうだなと看破したらしい。単純に話がわかりにくかったと。
前の店舗でなんとかやれていたのはオープン時の創設メンバーだったことが大きかったようだ。右も左も分からないパートさんは当時副店長だった上司に教わり、一緒に仕事をしていく中で、段々使えないことがわかってきても、他の社員を見たことがないし、今までの連帯感から悪く扱うのも可哀想だという意識が働いていたのだろう。
ところが他の店舗ではそうはいかない。慣れ親しんだ店長がいなくなり代わりに来るやつはどんなやつかと警戒される中で信頼を勝ち取るのは容易なものではない。
そこでは同情も忖度も存在しない。ただ実力と人間性だけで全てを決められる。
幸いなことに上司は類稀なる『人の良さ』という人間性を持ち合わせていたので、仕事がめちゃくちゃでもなんとかこき下ろされずに済んだのだ。
ただ本当に怖いのは、部下に不信感を持たれることでも、トラブルになることでもない。
本当に怖いのは、上司が『ここまでされるほど嫌われていることに気付いていなかった』可能性があることだ。
あの上司のことだ。きっと「いろいろ問題もあったけど、僕も頑張ったしみんなもなんとかついてきてくれた。」くらいに思っているのだろう。
そういう人なのだ。
私が辞めるときも、昇格の話を踏みにじられ、あまつさえ数々ケツを拭かせられた私が上司のことを恨んでいる可能性について一切夢にも思っていない様子で、最後だから一緒に食事をしようと家に招き、手料理を振る舞ってくれた。
もちろん私は上司をこれっぽっちも悪く思っていなかった。
私の中では、『全然仕事ができないだけのいい人』だった。
『鈍感は罪』と、かの名野球人野村克也氏は著書で何度も述べており、私も敏感に受け止め察知できる人間になりたいと心底願っている。
しかし場合や人によっては案外鈍感な方が人生うまいこといくんじゃないかと、今回の話を聞いてそう思った。
ただ今回は居なくなったあとで痛くもない仕返しをされる程度の負の感情に過ぎなかったが、自分の人生にとって重大ないしは取り返しのつかない障害を今すぐに及ぼす程の負のエネルギーだった場合はどうなるだろうか。
早く気づいていれば、ということもあるわけで。
まあさすがの上司でも、そこまでの鈍感ではないことを信じたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?