その身正しければ、令せずして行われ、その身ただしからざれば、令すと雖も従わず(論語 子路篇)
(意味)
自分の言動が正しければ、命令しなくても行われ、自分が正しくなければ命令しても従うものはいない。
つまり倫理を尽くし、言動を慎んで、その身が正しければ、命令して人を動かそうとしなくても自ら感化して善におもむく。
逆に、自らの存在が正しくなければ、たとえ工夫して従わせようとしても、周りは動かない。
だとすると、人を動かすテクニックを学ぶよりも「正しい存在」として自己鍛錬することが、やるべきことなのですね。
「七つの習慣」(Steven R. Covey著)では、見せかけのテクニックではなく、「原則中心」に生きよ、というのが冒頭に書かれています。
そうか、2500年前から、この原則は正しかったんだ、と、この記事を書きながら得心しました。
倫理観、原則に沿った行動、率先垂範 → 信頼される
自分はあるべき姿を見せているのだろうか?
メンバーに、言葉で明快に示しているだろうか?
と自問することを習慣化し、いつしか私が目指すべき人間像に掲げたいものです。
存在そのものがチームの規範となり、チーム員のモチベーションの源になる。
まだまだ、自信はありませんが、意識しておくことが大事ですもんね!
(参考、引用)
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