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偉人たちは偉人足らんと決意する意志力により偉大になる

 こんにちは。熱い日々が戻ってきましたね。
 最近読んでいる「指導者とは」(リチャード・ニクソン)から、今回はフランスの偉人シャルル・ド・ゴールとニクソンの指導者観について考察してみたいと思います。

「偉業は偉人を得ずして成ることがない。そして、偉人たちは偉人たらんと決意する意思力により偉大になる。」(シャルル・ドゴール)

シャルル・ド・ゴールはフランスの軍人であり、第二次世界大戦時にはナチスドイツのフランス侵略によりイギリスへ亡命したがロンドンでロレーヌ十字の自由フランスを樹立し、フランスを奪還、大統領となりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/シャルル・ド・ゴール

意志力

 ドゴールは、意志こそ国家を動かす基本的なものという考えを持ち、自らの意志によって歴史を形作る能力に関する限り彼は絶大な自信を持っていました。

 政治においては権謀術数も辞さず、壮大な目的のために、意志力を持って遂行する、という使命感や熱意などの言葉を超えた強い意志により自分と周囲を動かす力、国家、大きな組織を動かす力なのです。

ニクソンは、こんな言葉で表現しています。

「指導者は決意し(能動)、追随者は願望(受動)する。」

徹底的に没我


 ここからはニクソンの指導者観を、シャルル・ド・ゴールを引き合いに出して展開しています。
 自己の処理する問題に、「面白い」かどうかなど無関係という状態になれないような人は、指導者になるべきではない。
 一般的な人より背が高くなければいけない。日常の出来事を超えた視野を持つ必要があり、そのためには山上に立たなければならない。

 こういった言葉に代表されるように、事を成すことにおいて自らの欲を一切挟むことはありません。自分の習性がどうかではなく果たすべき役割が自分を作っていくという順番で自らが形成されていく事を厭わない人物が立派な指導者なのだろうということですね。

果たすべき役割のために演じる


 結局のところ目的を果たすために演技は必要であり、自分がどちらを主義とする人間であったとしても、大義のために反対側の演技せよ、ということが書かれていますが、これはマキャベリの君主論で言われていることに付合します。
 指導者に求められる「仁・義」は、孔子は君子が身につけるべき徳である、とし、マキャベリはこれらを現実的に身につける必要はない、振る舞え、と言っています。
 ニクソン、ド・ゴールの時代は、テレビとマスメディアが出現し、指導者の大衆に向けたメッセージや見せ方を変えたと言われています。主義主張を異にする政敵を相手に討議し闘争することから、テレビの向こうの大衆へいかにメッセージを伝えるか、が求められるようになってきた時代でした。
 さて現代では、テレビなどのマスメディアは依然として政治にとって重要ですが、インターネットメディアやSNSを介した直接的なアピール力、演出力が問われるようになってくるのでしょうかね。

思索の人として行動し、行動の人として思索せよ。


 ニクソンの指導者のあるべき姿として、広く教養を持ち、深い考えを持つこと、それだけではなく行動に移すこと、どちらかに偏りがちであるが、両者とも備えるべきでバランスを欠いてはならないとしています。
 これは論語で孔子が述べる行動力と思慮深さに通じるものがあります。

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