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力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)は画す。(論語 雍也篇)

(意味)

力のない者はないなりに、途中で挫折して中止するのは止むを得ない。
しかし、それをも実行せずに自分に見切りをつけることがいけないなのだ。

 これは、孔子の弟子、冉求(ぜんきゅう)が「先生の説く道はまことに結構なことで、よろこばないわけではないのですが、とても自分のようなものは力不足で実行が難しいのです。」と言ったことに対して、お灸を据えた言葉です。

実践してこその「道」


 論語は学問的な思想ではなく、あくまで実践することに重きを置いています。孔子は弟子に対して、実践もなく諦めていることに対して喝を入れています。

 この言葉を読んで、ハッとしたんです。

 いつの間にか、自分は実行する前に何かを諦めていないか?
 仕事の達成レベルも、勝手に自分で線引きをして、俺はここまでが関の山だ、と思っていないか?
 渋沢はこの言葉を引用して、そのように自分に「見切り」をつける人間は卑怯、と断じています。
 いくら博識な知識を持ち合わせていたり、論語の言葉を流暢に説明できても、行動が伴わない限り、何の価値も持ちません。

なぜ自分の中に線引きするのか。

 と、考えました。そして至った結論は、「自分はここまでできていれば十分だ。これ以上高望みしない方が楽だ。」と考えた瞬間、そこからあえて労力を割いてジャンプアップしないように、脳が仕向けている、ということです。

 人間の脳は、安定する位置を好みます。それは生物的に当然のことでしょう。
敢えて安定に争(あらが)っていく必要はないのですから。
 そして、自ら設定した枠の中で泳いでいれば安住できるのですから、ある意味楽。
 生物学的にはそうなんですが、今を生きる私たちは変化の真っ只中に晒されています。必要ならば自らも変化して適応しないと、安住できる場所から遠ざかっていきます。

変化に対応する


 孔子は自らも、弟子たちに対しても絶えず学び実践することを求め、君子へ近づくことを追求し続けてきました。
 現代においても、自分に制限を設けずに、高みを目指すのは自分の意志次第。そして絶えずテクノロジーも価値観も変化する現代においてはむしろ変化することを止めると、下降してしまうことだってあるでしょう。なので、この言葉にあるように自らの研鑽を行い、実践を続ける、そして自分の限界を知る、勝手に限界を定義するものではないんだよ、と心得ておきたいですし、部下に対してもそのように指導していこうと思います。

(引用)

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