吾知ることあらんか、知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う。空空如たり。我その両端を叩き而して竭せり。(論語 子罕)
(意味)
私は物知りか、そうではない。しかし無知な男が真面目に質問してきたら、私は自分の頭の隅々まで叩いて、知恵を絞って真剣に答える。
これは、孔子が身分がどうあれ自らに対して真剣に知ろうとする態度の人間に対する姿勢を示している。そういう人に対しては、億劫になることなく、惜しげもなく頭を捻って答えてあげる、ということです。
傾聴
渋沢栄一はこの精神に習い午前中の一定時間は時間の許す限り面談を行い、
来るものを拒まず相談に乗ってなるべく解決を与えることを主義としていたようです。
渋沢のように忙しい人物の場合、相手も遠慮したり、
自らもやるべきことを抱える中でこの時間を確保するだけでも
至難であったことは想像できます。
しかし、このように門戸を開き真摯に向き合う姿勢を続けることで
あらゆる人の思想に影響を与え、その積み重ねで人徳を獲得していたのかもしれません。
渋沢本人にとっても新たな知見を得たり、事業のチャンスを得ることがあったのではないかと推察します。
大人物の足元にも及ばない私ですが、一つ一つの求めに対して真摯に向き合うことを大切にしたいと思う次第です。
(参考)
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