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事を先にして得ることを後にす、徳を崇うするにあらずや。その悪を攻めて、人の悪を攻むることなき、慝を脩むるにあらずや。(論語 顔淵)

(意味)

 自らがなすべき事を十分に行って、その報いを考えなければ、徳は自ずから積まれてくるものだ。
 常に自ら顧みて自分の悪を攻めて取り除き、他人の悪を攻撃することがなければ、心の中のやましところはなくなる。


なんともストイックな言葉ですね。

まず、やるべきことを全うする


 前半の言葉です。
 あくまで関心の中心は自己鍛錬にあります。
 自らを高めていくことで、その引力で、報いは後から付いてくる、この順番が大事であって、報酬を急ぐことは誤りである、ということです。

逆転現象


 人は兎角周囲からの報酬を求めがちです。報酬はあって然るべきですし、心理的な報酬(承認する、褒める)は私もできるだけ周囲へ与えるようにしています。
 ただし、それを前提にしてしまうと、報酬が与えられないとモチベートされない、というように、いつしか逆転状態になってしまいます。
 徳のある人間は、周囲からの評価や具体的報酬をあてにせず、それは自分を磨いたら評価は自然についてくるものだ、という態度で望んでいるわけです。

人の悪事を攻めず、自らを省みる


 後半の言葉です。
 ここでも関心は自分の中にある、不徳の部分であって、他人ではないのです。

一時の怒りをコントロールする

 
 仕事においても、同僚の不甲斐なさに感情を出して怒りを表現することが、私にもあります。
 しかし、怒りの感情は伝播し、相手にも怒りを生じさせるものですよね。このループにはまり込んでしまうと、負の連鎖となってしまいます。
 これにより身を滅ぼす例は後を絶ちません。怒りの感情を持った相手に対してのフィードバック方法は、怒りをぶつけるのではなく、あくまでその行為、考え方について異論を唱えること、そして相手の成長を望むのであればあくまで成長するための諫言であることに重点をおけば、怒りとは切り離した言葉になるはずです。

インサイド・アウト

 「7つの習慣」(S.R.コヴィー著)に、「インサイド・アウト」という概念が出てきます。今回の言葉に通ずる内容であり、合わせて理解しておくことは有用ですのでご紹介します。

インサイド・アウトの考え方では、私的成功が公的成功に先立つ。つまり、他人に対して約束をし、それを守る前に、まず自分自身に対する約束をし、その約束を守らなければならないということなのだ。また、人格よりも個性を優先することは愚かなことであり、自分自身を改善せずに他の人との関係を改善しようとすることは意味のないこと
(Steven R. Covy)


共通することは、あくまで自分の徳を磨くことが第一であり、他人に影響を与えて変えようとする考え方は間違っている、ということです。

(参考、引用)


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