見出し画像

HSPだからってのを言い訳にしちゃいけない

私たちは、中学生までの15年間、自分で環境を選べなかった

与えられた環境のなかで、うまくやるしかなくて、そこで適応するのが難しかった人は、自分には適応力がないんだと思ってしまう。

でもね、明らかに、悪い家庭環境とか、悪い学校環境ってのもあって。

「環境のせいにするな」という理論は横暴なものだと思う。

人格形成の基礎をつくる一番大事な15年間での経験は、後の人生に多大な影響を与える。

たしかに、努力をすれば、人はいつからでも変われるんだけれども。

それは真実だけれども。

15年間の経験が、私たちの脳に強く深く、「人生とはこういうもの」というクサビを打ち付ける。

そのクサビを抜き取るには、相当な覚悟をしないといけないのも、また真実なんだ。

誰だって変わることはできる

しかし、そこには、相当な痛みをともなう。

麻酔なしで手術をするとショック死するのと同じように。

いきなり突き落とされて、「変われ!」と号令をかけられたら、精神的に追い詰められてしまうのは当然だ。

そういう意味では、「HSPなんだ」と言われて安心するっていうのは、麻酔の役割なんだとも思う。

それはそれで必要だ。

いきなりショック死は、やはり避けたい。

でも、大事なことは。

麻酔をしたら手術をしなければいけないのであって。

手術をしたら、目覚めなければいけないのであって。

目覚めたら、リハビリをしなきゃいけないのであって。

リハビリにはやはり、苦痛がともなうものなんだ。

ある程度、自分を癒やすことができたら、次はやっぱり、痛みには耐えなきゃならない。

で、それは、どんな痛みかといえば。

自分に合う環境を探すという痛み。

繊細というよりも、今の環境が合わないだけなんだと思う

たとえばだけど。

川に棲む魚が、海へ行ったら。

自分は繊細だなぁと思うのではないだろうか。


海に棲む魚が、川へ行ったら。

自分は適応力がないんだと思うのではないだろうか。


淡水魚は川へ、海水魚は海へ。

それぞれ、生息すべき場所というものがあるもので。


人間の場合、複雑なのは。

体力的な適応というよりも、精神的な適応という、目に見えないものだからこそ、時間がかかる場合があるってこと。

自分が何を求めているかに気づくのにも時間を要するし。

やっと気づいたとしたら、それはどこなのかを探すのにも時間を要する。

時間がかかる理由としては、2つ挙げられる

1.そもそも繊細だから、新しい場所へ飛び込む勇気がない

今の場所を離れるのは怖すぎる。

結果的に、ずっと同じ場所で、我慢しながら生きてしまう。


2.手当り次第やっているけれど、なかなか見つからない

自分は飽き性だとか、ひとつのことが続かない、と悩みがち。


1番の、新しい環境に飛び込む勇気がない場合は、これはもうしょうがない。

だからこそHSPなわけで。

どんどん新しい場所へ飛び込めるなら、自分は繊細だと悩むこともないだろう。

ただし。

「HSPだから」と言い訳ばかりもしてられない。

本当に苦しいならば、今いる場所から飛び出す勇気は必要なんだ。

たとえ時間はかかったとしても、ひとつひとつ試してみるのがいいだろう。

50m走だって、1位の人とビリの人とでは、相当なタイム差がある。

でも、全員が、全力で走っているはず。

だから、「遅い」なんて言われる筋合いはないんだ。

自分にとってはこれが、全速力なんだから。

2番の、やっているけれど見つからない場合は、「婚活疲れ」にも似ているだろう。

自分の居場所を見つけるまでには、けっこう疲れたり痛んだりする。

もう自分の居場所なんて、どこにもないんじゃないかと、あきらめたくなる。

自分はなんて飽き性なんだろうと落ち込むこともあるだろう。

でもね、試すしかないんだ、いろんなところで。

飽き性なのではなく、出会えてないだけ。


人よりも時間がかかろうが、最終的に見つかりさえすればいいんだから。

恥や外聞はなるべく考えないようにして、自分の人生、思いっきり、いろんなことを試してみるしかない。

それで見つかったときには、本当に感動するものだ。

それに、あまりにもひとつのことに執着していると、視野が狭くなってよくないし。

飽き性なのは、視野を広げるというメリットもあるんだから、開き直っちゃうしかない。


とにかく、HSPだろうがなんだろうが、自分の居場所さえ見つかれば、けっこう輝けるもんなんだ。

HSPだからといって悩むよりも、自分の居場所探しで悩んだほうがいいんじゃないかなぁと思う。

他人と同じようになる必要はないんだから。


そんな思いで書いたのがこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?