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『マチネの終わりに』第七章(37)

 酷い有様だった。しかしとにかく、目の前の楽器を弾けないというあの耐え難い苦しみは、終わったのだった。それを実感し、安堵すると、彼は、自分がつい今し方まで捕らわれていた恐ろしい場所を振り返った。そして、もう二度と戻りたくないと心底思った。

 皮が薄くなってしまった指先には、弦の摩擦の初々しい痛みと熱が残っていた。どこか照れ臭いような喜びが、全身に染み渡っていった。

 ――なぜ一年半もかかってしまったのだろう?

 まったく指が動かないのではと恐れていたので、案外、覚えているもんだなと、蒔野は、自分にというより、人間の体そのものに感心した。

 勿論それとて、田んぼのぬかるみを、転ばずに端から端まで歩けたという程度のことだった。

 舞台に立つまでの道のりは、無限のように遠かったが、彼はふしぎと、悲観的な気分にならなかった。やっと再出発が切れた。自分が失ってしまったものに対しては、どこか清々した感じさえあったが、それは、半ば居直りのような心境であり、同時に、何とかなりそうだというその日の手応え故だった。

 さっぱりしたと、彼は後に、何度かインタヴューで語っているが、些か嫌みな韜晦のようでありながら、それもまた本心だった。

 蒔野はその日から、毎日、十時間前後の「特訓」を三カ月間継続した。

 大半の時間は基礎練習の反復で、内容は、ほとんど教則本を書くように合理的に、網羅的に計画したが、取り組み方としては、「ひたすら弾く」といった手探りの実感頼りのものとならざるを得なかった。

 蒔野は、祖父江のリハビリに付き添って、よく専門医と脳と体との関係についてを――例えば、思考が保存されている「陳述的記憶」という領域に対し、身体の運動が保存されている「非陳述的記憶」と呼ばれる領域があることだとか、脳から出される信号が、神経を通っていかに指先に伝えているかといったことなど――話していた。


第七章・彼方と傷/37=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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