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「海と毒薬」読書感想:集団のうねりにのみこまれ、罪を重ねるその先には何があるのか

 遠藤周作著「海と毒薬」を読了した。

あらすじ🗒️
腕は確かだが、無愛想で一風変わった中年の町医者、勝呂。彼には、大学病院時代の忌わしい過去があった。第二次大戦時、戦慄的な非人道的行為を犯した日本人。その罪責を根源的に問う、不朽の名作。

出版社「KADOKAWA」説明より引用

 この物語は、第二次大戦中、米軍による無差別空襲が繰り返されいる九州F市が舞台になっている。そこでは人の死があまりにも当たり前になっていた。
 そういった環境のなか、大学病院の医師と看護師が、米兵捕虜に人体実験(殺人)を犯すというショッキングな事件を描いている。実際に発覚した事件をべーズにしたフィクションである。

 作中のキャラクターたちは、それぞれの背景の中で出世の欲望や、無力感を持って生きている。そんな中で世間からの非難を意図的に避けながら、人の命に関わるような罪を犯し続けていたりする。
 そういった生活が当たり前の彼らに、ある日、今後の軍事や結核の治療に役立つと言われる人体実験(殺人)が軍から依頼される。もし、あなたなら断れるだろうか。受ければ出世できるし、いけ好かないやつの鼻も明かしてやれる。断れば、これまでの仕事の努力は水の泡となったり、仕事をやめさせられる可能性もあるかもしれない。

 確実に罰を受けないというのであれば、人はどこまで罪を犯してしまうのか。そして、罪を犯す回数が増えるほど、人はその罪の重さに対して鈍感になるのか。読んでいる間、ずっと胸の奥が苦しかった。

 この作品は昭和35年に発表されたが、問いかけは現代人の心にも深く響くのではないだろうか。作中のキャラクターたちそれぞれが抱える悩みは、私たちの中にもあるように思うからだ。彼らが独白し、悩むたびに、それらが私たちの心の中に渦巻くものと共鳴する。

 作品の問いかけに対する1つの答えとして、作中では神の存在や信仰を罪を犯すことへの抑止力のように示唆する場面がある。信仰によって人格者になることで、罪を犯すことを止められるのだろうか。
 そのような考え方もできるかもしれない。しかしもし、自分を取り巻く環境、集団のシステム自体が異常だったとしたら、人格者になることは意味がないのではないだろうか。
 
 そういうわけで、時代や個人を取り巻く環境が、その人の行動を大きく左右するのではないかと思うのだ。また、運命という大きな波に流され、のみ込まれないためには、自分の感じている感情が唯一ではないとして、多面的にものごとを見つめる力、時にはその集団を飛び出す力が必要なのではないかと感じた。そしてそういったことも、大事に至ってから何とかしようとするのではなく、日々のちょっとしたことの積み重ねが必要なのだろうと思う。


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