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映画「愛がなんだ」

映画「愛がなんだ」を見た。
監督は今泉力哉さん。

あらすじ

28歳の山田テルコは友人の結婚式でマモルという男性に一目ぼれし、以来マモルのことで四六時中頭がいっぱいだった。仕事中でも、真夜中でも、マモルからの連絡が最優先。あげく仕事を失い、職場の同僚や友人から冷ややかな目で見られても、マモルへの思いは変わらず、幸せな将来を夢想して浮かれるばかり。しかしマモルにとってはテルコは都合のいい女でしかなかった。マモルの部屋に二人で泊まりその仲は深まったに思えたが、ある日を境にマモルからの連絡は途絶えてしまう。

感想

これはお花畑な恋愛模様を描く体をしながら、モラトリアムとは何かを恋愛を通じて描いた作品だ(と私は思う)。

お花畑?

恋愛映画が見たくてこの作品に辿り着いたわけではないが、恋愛映画なので前半はテルコのベタベタな姿が続く。正直見ていてしんどい。しかし、後半になるにつれ、お花畑的な生き方が実際の生活とかみ合わない場面が多くなり、テルコは様々思い悩んでいる。

マモルとの心のすれ違いは少し滑稽なくらい強調されている。

風邪をひいたマモルのために料理を作りに行き、ついでに掃除までしていたところ、追い出される。
初めてマモルの家に泊まった日、彼の外出中に部屋を片付け、追い出される。

相手に尽くせば自分を好きになってくれると信じて疑わず、関係を続けていく。マモルに追い出された日にもケロッとしている様子は、親友の葉子から「あんたに同情すると損した気分になる」とまで言われる次第だ。都合のいい女になっているとわかっていながら、いまの関係を終えるのを先延ばしにする気持ちは、モラトリアムではないだろうか。

最初は共感できそうもなかったのに、そんな主人公に共感してしまった。なんだか悔しい。
お花畑な自分を俯瞰することはあるのに、そこから抜け出して具体的な解決策は取れないテルコ。
私は今大学院に通っているが、将来を考えると解決できない不安が沢山ある。目の前のことに熱中すると、そんな問題を考えなくて済む。でもそうしているうちに「将来」だと思っていたものは着実に近づいているし、もう通り過ぎたタイミングもある。
モラトリアムの匂いをちらつかせるシーンは、今の私にいちいち刺さる。

内臓ボロボロすみれさん、変化するモラトリアムの住人

そんなテルコに変化をもたらすのが、すみれという年上の女性だ。マモルが合コンで出会ったという彼女は、酒やタバコを片手に、頻繁にパーティで若者の様な遊びを続けているようだ。

そんなすみれさんが脈もないのにマモルと遊び続ける様子に対し、テルコは強い嫌悪感を抱く。
「タバコ吸いすぎ、肌ガサガサ、内臓ボロボロ」などと何故かラップ調で歌いながら歩くシーンは印象的だ。

すみれさんはがさつで薄っぺらい人間関係に生きているが、ある意味でそんな生き方と割り切っているのだと思う。その割り切りが、モラトリアムを生きる登場人物たちに変化を与えていく。

一番成長するのはナカハラだ。葉子の恋人にはなれないと思いながらもだらだらと同棲を続けていたが、同棲を辞めて新たな生き方をしようと決心する。
キレながら引き留めるテルコに「自分で決めさせてくださいよ!」と笑顔と泣き顔半々で言い切る姿は迫真だった。
曖昧なままならダメージ無いのに、それを断ち切って次に進まなきゃならない、覚悟を決めた姿はかっこいい。

最後、葉子が髪型を変えて写真展に来るシーンは胸アツだ。
よかった。

テルコのラストシーンについて

さて、テルコのモラトリアムの終わりはというと、極端に粘着な恋愛から想像されるような、極端な割り切りだ。
マモルに対しもう好意はないと言いながら、マモルの友人を通して関わり続ける。曰く、

「愛がなんだ」だそうだ。

いいの!?

金麦

セリフなどで触れられることはなかったが、物語の中には何度も缶ビールが登場する。その中でもテルコが一人で飲む際に手にしているのが金麦だ。

現実的な問題に直接向き合っているわけではないが、漠然と流れる空白の様な気持ちを埋める要因としてのビール、それが金麦のように見えた。

追い出された日や葉子の家など、理由があって飲む際にはエビスやプレモルが登場している。一方で金麦がいるのは、何かを先送りにして漠然とした気分のシーンだ。第三のビールなりに安く、変に尖ったところもなく、プレーンで美味しい。モラトリアムの空気を埋めるビールは、確かに金麦だな、と思った。

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