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猫に学ぶ「居る」という価値

誰でも、一度は考えた事があるのではないか?
「自分」の価値について。

自分の価値はどれくらいなのだろう。
そんなことを漠然と考えて、ちょっと不安になる。

価値ってそもそも何だろう?
その基準はどこに求めるべきなのか?

わかりやすいところでいうと、いくら稼いでいるか。
それとも
どれだけ社会の役に立っているか。
それとも
友達や交友関係の広さ。
それとも
頭の良さや、身体能力の高さ、特殊技能を持っているとか。

うーん、私の場合、どれも満足に持ってない。
困った。

では、私自身、何かに困っているかといえば、
・・・ほどほど。

「ほどほど」というのはどういう事かというと
困ったり、困らなかったり。
泣きたくなったり、幸せを感じたり。
つまり、行ったり来たりしてる。

でも、今それなりに生きている。

先ほど列挙してみた価値基準から行くと私の価値はかなり低そう。
競争なんかしたら、一発で負けてしまう。
どの競技でも一等賞は取れないだろうなぁ。
そんな私は価値のない存在なのか?と時々弱気になってしまう。

そんなことを考えてしまうのはたいてい真夜中。
一人の時間だ。

でもそんな時、私の傍らには素晴らしい師匠がいつもいてくれる。

その師匠とは、タイトルからもきっとお判りでしょう。
そう、ニャンコ先生です。

ニャンコ先生、つまり猫。

心が行き詰った真夜中、ニャンコ先生のおでこをスリスリスリと撫でてみる。
すると、ほそーく目を開けてまた閉じる。
時々、「ニャッ。」とひとこえ。

それだけ。
それだけで、私の心が満たされていくのがわかる。

お互いに通じる言葉がなくても信頼しあえている、と確信できる。
しばらく撫でれば、ゴロゴロと喉を鳴らす。

人間に適用されそうな価値基準を、どれひとつ持たない猫なのに。
むしろ、私がご飯をあげたり、トイレ掃除をしたり、ブラシをかけてあげたり、お世話をしなくてはならない存在なのに。

ニャンコ先生を一生懸命お世話しても、先生からは何の見返りもないのだ。
信頼しあう、という絆以外は。

そんなニャンコ先生を眺めていると、「ただそばに居る」という行為の偉大さに気づく。
むしろ役に立ちそうもない猫だからこそ、私もそこに何も求めない。
つまり、ただ純粋に「居る」ことが嬉しいのだ。

お互いに「私はあなたを傷つけない」という信頼が成り立っていれば、一緒に「居る」ことの価値は強力だ。

人間同士だと、信頼しあうというのはなかなか難しい。
特に、先ほど挙げたような「見えやすい価値」をあなたが持っている場合、より難易度は上がってしまいそうだ。
誰かが近づいてきた時にちょっとした疑念が沸いてしまうかもしれない。

信頼関係を築くには時間がかかる。
だからゆっくりゆっくり、作り上げていくしかない。
でも、他の価値とは違って、決して競うことはできないもの。
お互いを観察し、相手だけではなく自分も相手を信じることが必要になる。

猫は私に何もくれない。
むしろ手間がかかる。
でも、お互いに少しずつ作り上げてきた信頼のおかげで一緒に居る時間は最高だ。
そこには言葉はいらない。言葉は無いほうがむしろ、いい。

ただ、「居る」だけ。それは私にもできる。
そこにある大きな価値は、猫と暮らしている人にはわかるでしょう?
人間同士だって、きっとできるはず。
植物やほかの生き物とだって、きっとできるはず。

今日、あなたがいて、あなたの周りに信頼を寄せることができる何かがあれば、そこには大きな価値がある。

もしも、そんなものは無いというのであれば、作ればいい。

「私はあなたを傷つけない」というメッセージを言葉じゃなくて態度で。
植物でも、動物でも、人間でも、何かの対象に向けて、ゆっくりと信頼を作り上げるところから、始めてみればいい。

その行為自体がもう、「大きな価値」だと思う。
つまり、あなたの存在自体が「大きな価値」を生み出すもの、だと思う。

私自身もあせらずゆっくり、そんな価値を少しずつ増やしていきたいと思っている。

今日もニャンコ先生は私のそばで寝息をたてながら、そんなことを私に教えてくれる。ありがとう。

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